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2006年6月

2006.06.29

「ぼくは12歳」

最近まとめてCD化再発売された高橋悠治の一連のシリーズの中に、「ぼくは12歳」が入っていたので、買ってきた。
LPで出ていた頃以来、25年ぶり位のご対面。サイズは小さくなったけれど、嬉しいことに紙ジャケット仕様。
封を開けると、中からはLPレコードをそのまま縮小したような、長半円形のビニールの内袋に入ったCDが出てきた。可愛い。

Cd101

高橋悠治ソングブック「ぼくは12歳」(DENON)

これは、12歳(中学1年生)で投身自殺した少年・岡真史くんが残していた詩の数々に、日本現代音楽界の永遠の奇才、作曲家・ピアニストの高橋悠治が曲をつけたもの。
岡真史くんは私と全く同年生まれ(1962年)だったので、彼の自死のニュース、筑摩書房から出版された遺稿詩集『ぼくは12歳』のことは、TVのドキュメンタリーとかでも放映されて、同年代の自分にとってリアルタイムに強烈な印象と記憶に残ったのだった。

思春期の頃に、一度でも「死ぬこと」を考えたことのない人というのは、いないと思う。
大人になったら、そんなことケロッと忘れちゃう人もまた、多いけれど。
ここには、誰しも心の底に覚えのある、だけれど普通は形を与えられず、そのまま時間の堆積の中に埋もれてしまうしかない少年期の感性というものが、鋭利に繋ぎ止められている。
あれから30年が経って、自分はその当時の親の年齢になってしまったけれど、再びこうしてその詩を読み、高橋悠治のつけた音楽を聴いている。感慨深い、という言葉では済まされないものがある。

その音楽は、民俗楽器のようなシンセサイザーや管楽器の音と、沖縄や朝鮮の民謡からとられたというリズムの上に、中山千夏の中性的でまっすぐな唄声が乗っているというもので、いわゆる「クラシック」や「現代音楽」ではなく、かといって「ポピュラー音楽」でもない、既存の世間の音楽のスタイルというものを拒絶したような雰囲気が、印象的だ。
1曲めの「みちでバッタリ」って、昔矢野顕子がカバーしてなかったっけ?
参加ミュージシャンを見ると、シンセサイザー高橋悠治、佐藤允彦、ソプラノサックスほか鈴木重男(惜しくも故人となられた方だ)、ベース寺川正興、パーカッション豊住芳三郎と、ジャズ・スタジオ界の名手がさりげなく顔を揃えていて、おおっと思ってしまった(昔は気がつかなかった)。

2006.06.27

プルチネルラ

Tirasi633ジョアン・ファレッタ客演指揮月間最後の都響定期公演を聴く(東京文化会館)。

職場を出遅れて、休憩後のストラヴィンスキー『プルチネルラ』(全曲版)しか聴けなかったけれど、これだけでも大満足でした。ある意味、私が音楽というものに求める要素が、全部入っている曲だと思った。明るく軽やかであり、幸福感にみちていること、色彩豊かで華やかであり、しかも室内楽のように親密であること、古いものの良さを生かしつつ、新しくもあること(ご存じのように『プルチネルラ』は、18世紀イタリアの作曲家ペルゴレージの作品に基づくバレエであります)、等々。
演奏も、もし自分がこれを演奏することとなったらかなり嫌になりそうな難しさだけど、そんなことは全然思わせず弾き(吹き)きっていた。ヴァイオリン(山本)、オーボエ(本間)、ファゴット(堂阪)、トロンボーン(小田桐)のソロ各氏、ブラヴォー特記。


余談だけど、ワタシの音楽上の「明るさ指向」というのは昔から一貫しているようで、私が毎年出場しているサクソフォンの発表会で、去年はルクレールのハ短調ソナタを吹いたんだけど、この10年以上いつもピアノ弾いてもらっている方に「Thunderさんのソロで短調の曲弾いたの初めてです」ってそのとき言われて、そうだったのか、と自分でも感心したことがありました。

2006.06.24

アイル

サクソフォン・ラージアンサンブル・アイル 第11回演奏会(イシモリホール)

友人宮崎さんの率いる「アイル」。
宮崎さんとは15年前、八ヶ岳山麓のヤマハSaxセミナーでご一緒して、夜中に抱腹絶倒の業界ウラ話をいっぱい聞かせてもらって以来の付き合いだし、アイルには以前は知り合いの団員も何人かいたので、ずっと興味はあったんだけど、演奏会が毎回必ず何かの予定と重なっていて聴けなかったのだ。

今回やっと、11回めにして初めて聴けた。たいへん面白かったし、楽しく聴くことができた。演奏自体は、まあ、いろいろで、個人々々の技術も方向性もかなりバラバラで(とりあえずよくここまでまとめてこれだけのことをやらせるよなあ、と感心)、終演後は何人もの団員さんに「へたくそですみません」みたいなことを言われたんだけど、そういう問題じゃないのですよ。「そういう問題じゃない」、ということがよく分かる演奏、というか。
アマチュアの演奏団体によくあるような、そこそこに上手いけれど、あきらかに自分たちがやりたいことをやっているだけで、お客さんはいてもいなくてもあまり関係ない、みたいなのって、私全然ダメ、生理的に受け付けないんだけど、少なくともそういうのとは全く違うと思う。自分でも不思議なほど自然に聴けるんだもの。

メンバーの「個性」というのは代替のきかないもので、勿論ある局面に限れば他のメンバーにレベル的に劣る、ということはあるかもしれないけど、それでもその人の個性というのはかけがえのない、その人のものだ。
その人の個性の、劣る部分をあーだこーだ言って矯正するのではなく(勿論ある程度の矯正は必要だけど)、まずは良い部分、というか、その人にしかない部分というのをうまくプロデュースして、全体の中に生かしていけばいいんだな、ということが、よく分かる。
私も常々、そういうふうに考えたいとは思っているんだけど、なかなか思い通りにはいかなくて、ついつい減点法で考えてしまうんだよね。「このヘタクソ、」みたいな発想。いかんいかん。

東京シティフィル200回定期

Tirasi632東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第200回記念定期演奏会(東京オペラシティ)
指揮:飯守泰次郎、矢崎彦太郎

プロコフィエフ/古典交響曲(矢崎)
ラヴェル/ラ・ヴァルス(飯守)
リスト/レ・プレリュード(矢崎)
R.シュトラウス/ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら(飯守)

たまたま近くにいたので、開演直前に当日券で駆け込んだ。東京のメジャー・オケの中で一番若いシティフィルも、はや創立30年、定期公演も200回。役付きの指揮者2名が登場しての、今宵は華やかな祝祭定期。
開演前のプレ・トークで舞台上に漫才のように2人並んで話をしていたけれど、指揮者が2人ステージに並ぶというのは実は珍しい光景かも?

演奏は、飯守さんの『ラ・ヴァルス』の余りの素晴らしさに尽きた。果実は腐る寸前が一番甘い、みたいな、これが爛熟の「ウィーン」です!とでも言わんばかりの、確信にみちたものすごい演奏。正直言って、シティフィルのフランス物は矢崎さんのシリーズでさんざん聴いたけれど、ここまでの水準の演奏はついぞ聴いたことがなかったぞ。
今までなんとなく、飯守さんといえばワーグナーとかベートーヴェンとかシューマンとかのゲルマン系で、矢崎さんがラテン系、みたいな固定観念があったけれど、それって所詮は固定観念だったのね、とつくづく思わされた。音楽は虚心に聴かなければいけませんなあ。
また、飯守さんの指揮ってちょっと見は酔っ払いみたいなフラフラした振り方だけど、実はすごいバトンテクニックの持ち主だ、ということが初めて分かった。ああいう風には身体動かないよ、普通は。
いやあ、今日は新たな発見が多くて、来て良かった。

なんとアンコールで合唱団(東京シティフィル・コーア)が登場、「行け、わが想いよ、金色の翼に乗って」(『ナブッコ』より)に始まる、アンコール4曲の大盤振舞。「第3部」、って感じ。最後も華やかでした。

2006.06.22

モーツァルトを讃えて

Tirasi631東京都交響楽団 第628回定期演奏会(サントリーホール)

モーツァルト/セレナード第8番『ノットゥルノ』
チャイコフスキー/組曲第4番『モーツァルティアーナ』
イベール/ロンド『モーツァルトを讃えて』
モーツァルト/交響曲第39番
 指揮:ジョアン・ファレッタ

ひとひねりしたモーツァルト特集。若杉さんのプログラミングをちょっと思い出させるものがある。
お客さんの入りがいまひとつだったのが不思議。P席とか、安い席はいつもより断然大入りなのに、定期会員の方々が座っているとおぼしきS席ブロックに空席が目立つ。マニアックなプログラムだと思われたのかな。全然そんなこと無いのに。
チャイコフスキーの「モーツァルティアーナ」が大変面白かった。楽しさ満載、コテコテの19世紀ロマン派の流儀による、モーツァルトの解釈と編曲というか。第3曲は有名な「アヴェ・ヴェルム・コルプス」だけど、弦も管もゴージャスに使って、ハープも盛大に鳴る。第4曲は変奏曲。長大で華やかなヴァイオリンソロ(矢部さん)はじめ、オーケストラの聴かせどころがこれでもかとばかりに次から次へと現れる。こんな面白い曲があったなんて!
対してイベールは、20世紀人の理想郷としてのモーツァルト、か。それでも(モーツァルト風のメロディを使っていても)、イベールはやっぱりイベールだけど。

ジョアン・ファレッタ、好調です。次の定期はストラヴィンスキーの『プルチネルラ』全曲版。これまた、底抜けに楽しい演奏が聴けそう。

2006.06.21

夏至の日に

今日は夏至。
奇しくもこの夏至の日に、メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』を含む(言うまでもなくmidsummerとは「真夏」ではなく「夏至」)、ロンデックス門下のカナダ人サクソフォン奏者Daniel Gauthier率いるアリアージュ四重奏団の新譜、「À la recherche du rêve perdu」(MDG)を聴いた。

Cd100

ピアノとサクソフォン4本で、シューマンのピアノ五重奏曲と『真夏の夜の夢』という、大胆な曲目。しかもメンデルスゾーンの方はなんと、組曲版には通常含まれない、原曲では合唱付きで演奏される「妖精の歌(まだら模様のお蛇さん)」や「終曲」を含む、準全曲版だ。でもって、これらの(組曲版に含まれない)ナンバーの演奏が、実にいい雰囲気なのである。実は『真夏の夜の夢』という曲を愛して止まないワタシとしては、唸ってしまった。
全体には、ピアノの用法がやや安易だなと思う箇所もあるし、オーケストラの色彩感にはどうしたってかなわないよなぁ、とも思えるけど、それでもたったの5人でこれだけのことが出来るんだから、大したもんだと考えなきゃいけないんだろう。
サクソフォンという楽器は、やはり、変な言い方だが「管の弦楽器」だなあ、と、このシューマンなどを聴くと実感するのだった。この曲を管楽器のアンサンブルで演奏するとして、サマになるのはサックスだけだろうから。
そうか、だから『真夏の夜の夢』の「スケルツォ」のような、木管楽器の色彩と音の戯れが乱舞するような曲が、物足りなく感じるんだな。

…というように、自分が当り前に吹いている「サックス」という楽器を客観視する材料として、なかなかにいろいろな視点というか、考えるネタを提供してくれるCDだと思う。

2006.06.19

【速報】ハバネラ東京公演、23日発売

きたる11月4日(14時開演、東京文化会館小ホール)の、ハバネラ・カルテット東京公演(大阪国際室内楽コンクール・グランプリコンサート)ですが、6月23日に一般発売開始とのことです。
マネジメントはIVS音楽出版
聴こうと目論まれておられる向きは、早めに手配されるのがよろしいかと思います。

2006.06.17

都響の「幻想」

Tirasi630東京都交響楽団 東京芸術劇場シリーズVol.60
作曲家の肖像「ベルリオーズ」

「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲
歌曲集「夏の夜」(Ms:加納悦子)
幻想交響曲
 指揮:ジョアン・ファレッタ

約1ヶ月ぶりの都響。たった1ヶ月なのに、随分久しぶりのような気がする。
芸劇2階のいつもの席で、ベルリオーズの特集を聴く。コンマスは山本さんだったが、なんといつもとは逆に矢部達哉さんがトップサイドに座っていた!あんまり見られない光景かも。
指揮は初来日のイタリア系アメリカ人女性指揮者、ジョアン・ファレッタ。写真からはなんとなく長身のオバサン(失礼)を想像していたのが、とても小柄なレディが颯爽と舞台に出てきたので、ちょっと驚いた。
大きなアクションで、アメリカ人指揮者によく見られる右方向に大きく拡がる振り方は、斎藤メソード門下の日本人指揮者の洗練された振り方を見慣れた目にはちょっと素人くさく見えるけれど、非常に祝祭的で明るい気分と音色を演出するその音楽は、さすがアメリカの3つのオーケストラで音楽監督はじめ要職を兼務する実力は伊達ではないと思わせる。
「夏の夜」では、出だしが歌手とテンポが合わず、一瞬どうなることかと思ったが、2曲めからは持ち直した。ただ、この歌い手さん、歌い方があまりにもオペラチックで、ちょっと私の好みではない。声は実によく出ているし、オーケストラの伴奏はさすが都響、繊細をきわめたもので良かったんだけれど。

休憩後は「幻想」。
都響の「幻想」を聴くと、なんてことのない弦や木管の1フレーズや、木管と高弦のユニゾンの音色、金管や打楽器の入ってくる微妙な間の取り方とか、そこかしこにジャン・フルネさんのDNAがこのオーケストラには残っていることが感じられる。素晴らしいことだと思う。
それでも最後5楽章は、フルネさんではあり得なかった速いテンポと高揚した気分で終わる。ブラヴォー。

続く定期公演(22、27日)でも、非常に興味深いプログラムが準備されていて、楽しみ。

【訃報】佐藤功太郎氏

訃報:佐藤功太郎さん62歳=東京芸大教授、指揮者

不思議なもので、訃報というのは続くときは続くものだ。

佐藤功太郎という人は、最近でこそ芸大での指導やオペラの方面の仕事がメインになっていたものの、80年代頃にかなり長いこと新星日響の首席指揮者をしていた方なので、昔から東京のオケを聴いていた人間にとってはわりと親しみ深い名前だった。
当時の新星日響は、良くも悪くもほとんどアマオケみたいなノリで、演奏も時として今だったら考えられないような崩れ方をしたりして、スリリングで楽しかったものだった(^^;。
だからといって、単に笑い物にしたり忘れ去ってはいけないと思う。現在という時間は、間違いなく過去の時間の集積、あるいは延長線の上にあるのだから。

指揮者としては、「これから」の人だったのでしょうけれど。残念です。
ご冥福をお祈りします。

2006.06.16

100年前のフォーレ

Tirasi629ここのところ忙しいので2日続けて早く帰るのは無理かと思っていたが、今日も帰れたので、ダッシュで日本フォーレ協会の例会へ。

日本フォーレ協会第XVII 回演奏会「100年前のフォーレとその周辺」(東京文化会館・小ホール)

フォーレ/アヴェ・マリアop.93
 Sp:神谷明美、佐伯葉子、Pf伊藤明子
同 /小ミサ曲
 アンサンブル・コンセールC
 指揮:野平多美
同 /沈黙の贈物op.92
同 /シャンソンop.94
同 /ヴォカリーズ
 Sp:石井恵子、Pf伊藤明子
同 /舟歌第8番op.96
ドビュッシー/映像第1集
 Pf:江端津也子
ラヴェル/博物誌
 Br:根岸一郎、Pf:林達也
デュカス/ヴィラネル
 Hn:阿部麿、Pf:林達也
ルーセル/田舎風op.5
 Pf:林達也
同 /ディヴェルティスマンop.6
 Fl:三上明子、Ob:柴山洋、Cl:古澤裕治、Hn:阿部麿、Bn:田中成行、Pf:林達也

タイトルどおり、100年前、1906年前後に書かれた作品によるプログラム。毎年のことだけど、歌・ピアノ・器楽と何人もの演奏家が入れ替わりで、1曲長くてもせいぜい10数分程度の出番のために日頃鍛えた技を披露するという、なかなか盛り沢山な趣向で、よございました。
ワタシ的には後半の方が断然面白かったし演奏も良かったような気がする。『博物誌』を歌った根岸一郎という人は、見かけによらず(^^;繊細できれいな発音のバリトン・レジェの声の持ち主で、林達也氏の精緻なピアノともども今宵一番の聴きものだったのでは。
デュカスのヴィラネルを吹いているところを実際に見たのは初めてだけれど、ホルン吹きの方には常識なのかもしれないが、この曲って前半はロータリーを一切使わない(ナチュラルホルン状態)で吹くんですね。知らなかった。音階的なパッセージは右手のコントロールで吹くので、音色の全然違う音が並ぶのが楽しい。
最後ルーセルのディヴェルティスマンは、ホルン以外はかなりのベテラン揃いの木管五重奏で、これまた楽しかった。しかしピアノ+木五の曲って、なんかこうオチャラけた曲が多いのね。

1906年ですか。フォーレは61歳、パリ音楽院の院長に就任したばかり。ドビュッシーは今の私と同じ、44歳(ワタシはドビュッシーと100歳違いなのだ。別にエラかないけど)。『海』を初演した頃。ラヴェルは31歳の新進作曲家。かと思うとサン=サーンス71歳、マスネ64歳といった前世紀の大家も健在。モンマルトルには25歳のピカソが住み、マチスが野獣派の展覧会を開き、コクトー、ストラヴィンスキー、ディアギレフといった20世紀を彩る天才たちが「デビュー前夜」の時を過ごしていた。
まさに「時代の転回点」という、面白い時代だった訳だ。今の目から見れば。
百年後から今の2006年という時代を見ると、どうなるのだろう。そんなこと誰にも分からないけど。

2006.06.14

フランキストたち

Tirasi628鷲見加寿子 ピアノリサイタル(東京文化会館・小ホール)

ダンディ/テーマ・ヴァリエ、フーガとシャンソン
フランク/プレリュード、コラールとフーガ
デュカス/ピアノソナタ

この渋ーい曲目を見て以来、聴きたいっ!と思っていたコンサート。デュカスのソナタ(演奏時間45分!)をリサイタルで弾こうという度胸と根性からしてただごとではないし、前プロのダンディの秘曲(ずっと昔アニー・ダルコのレコードで聴いて以来)をはじめ、全体をフランク御大とフランキストの傑作でまとめたプログラム。こんなの、聴き逃したら次はいつ聴けるんだろう、というようなものだ。
鷲見家というのは音楽一家のようで、この方の息子さん(コントラバス奏者)のブログを通じて知ったのだった。
ご本人は東京音大の教授だそうで、客層は老若男女幅広く、ピアノの生徒さんばかりかヴァイオリンのケース等を持った学生さんもたくさん来場していて、盛況。

私自身の体調がいまひとつで集中して聴けなかったところが残念だけど、前半は頑張って聴いた。たいへん格調高く、淡々と集中して音楽を産み出してゆくという趣の、余計なもののない見事な演奏だったと思う。
アンコールにフランク「ゆるやかな舞曲」。(絶品。)

プログラム裏の宣伝によると、今日と同じ曲目のCD発売も予定されているようだ。
今日ちゃんと聴けなかった分、楽しみに聴いてみよう。

2006.06.13

岩城宏之氏追悼

指揮者の岩城宏之さん死去

N響のテレビ放送をはじめ、「オーケストラがやってきた」「題名のない音楽会」等、テレビ音楽番組への頻繁な出演によって、これも今は亡き山本直純氏とともに一番最初に名前を覚えた日本人指揮者だった。
中学2年生の時だったけど、はじめて自分でお金を出して聴いたクラシックの演奏会というのも、岩城指揮のN響プロムナードコンサートだった(NHKホール3階席で500円だったと記憶する)。
小島葉子コーラングレ独奏でシベリウスの『トゥオネラの白鳥』、弘中孝独奏でグリーグのピアノ協奏曲、シベリウスの2番という北欧プロだった。クラシック初心者の中坊がなんでこんな渋い曲目のものにわざわざ行ったのか、すっかり忘れてしまったけれど。

そして30年が経ち、最後に聴いたのは昨年10月の都響との『森の歌』(ショスタコーヴィチ)だった。
なんと、日記が残っていない。ちょうど忙しい頃だったからなあ。
という訳で、今更ですが。

Tirasi051002

岩城さんのCDというのは、意外と持っていない。
聴こうと思えばいつでも聴ける、と思っていたからだろうか。そんなことはないのにね。
おそらく今までに一番数多く聴いたのは、これ。

Cd099

湯山昭/子どものための交響組曲
 岩城宏之指揮 フィルハーモニー交響楽団(King)

このCDについては、本家サイトのほうにこんなページを公開していますので、お暇でしたらご覧いただければと思います。
私自身が子供だった頃の、高度成長下の希望に満ちていた良き時代の日本のありようを、これほど切実に音化した音楽は、他に知らない。

岩城宏之、享年73。私の父と同じ歳だ。
「息子」の世代より、心からの哀悼の念を捧げます。…

2006.06.11

リサーチ本番終了

Tirasi627昨日、リサーチ演奏会本番終了。
今年もまた、本番までの過程では(本番の最中もまあ)色々あれど、終わってしまえば「良い演奏だったね!」で打ち上げで痛飲して済むところが、アマチュアの良いところでもあり。

もうこの先練習することもない曲たちの、楽譜の束を整理しながら、ひとつのことを終えた充実感と終わってしまった寂しさを、ともどもに実感する。

今までも何度も書いているように、6年ぶりのバリトン本番だったけれど、打ち上げの席で音をトレーナーのT先生(クラリネット奏者、本番の舞台では斜め左前でソロクラ2ndのパートを吹いておられた)に絶賛していただいたのが、嬉しいです。

060610

一夜明けた今日は、終日雨。
昼近くに起き出して、恒例父の見舞いで青梅までの往復で日が暮れる。
帰宅後は、昨日戴いたお菓子の試食会。ワタシの甘い物好きもだいぶ知れ渡ってきたようで(^^;、大きな本番の終了後はお菓子の御進物に取り囲まれることになります。
今回のヒットはチロリアのバウムクーヘンでしょうか。どこでこんなものを手に入れたんだろうか。
他にもいろいろ。うれしいうれしい。ありがとうございました。>該当の皆様

明日からまた、いつもの日常が戻ってくる。

2006.06.09

リード遍歴

私は修行時代、バンドレンの「2番」などというリードを使っていた。
20年以上前、大学を卒業する間際にサックスを習い始めたO先生という師匠が、生徒には2番を使わせる方だったのだ。
お分かりのとおり、薄いリードは音を出すこと自体はラクだけれど、しっかりと鳴らしてしかもコントロールするというのは逆に難しい。普通の吹き方ではすぐに音量が飽和してしまうので、下唇のプレッシャーを極力控えてクッション豊かなアンブシュアで、しかも息の圧力を相当に準備しないと、ダイナミックレンジは確保できないし下手をすると低音はサブトーンみたいになっちゃうし高音はぶら下がるし、酷いことになる。
O先生は当時、フランスでロンデックスの下で学んで帰ってきたばかりだった。ロンデックスがそういう教え方をしていたのかどうかは、知らない。そもそもロンデックスという人は教える相手によって全然違うことを言う人だったようだ。もしかしたら息圧の足りない(当時の)日本人留学生向けの特別メニューだったのかもしれない。

という訳で私も、一時的にそれこそ、なんにも吹けなくなってしまった。
中学のブラスバンドから始まって大学を卒業するまで自分なりにやってきたことと、全く違うコンセプトというものを要求された訳だから。
Rubank社のElementary Methodという初心者向けの教本で、1時間のレッスンで吹くのは全音符3つ、なんていう状態は、オレはいったい何やってんだという感じではあった。

まあ、しかし、現在の自分があるのは間違いなくその当時の訓練のおかげだ、と今は思っている。
下手をすると相手を潰してしまいかねないようなそういう教え方を敢然と行った先生というのも、すごいものだ。今そういうことをできる若い先生(当時私は23~4歳、先生は30ちょっと前だった)って、いるのかな。

その数年後、縁あってK先生にお世話になるようになって、今度は3番を使うようになった。
セルマーの170のマウスピースに3半のリード、などという誰かさんの流行りのセッティングに浮気して、おかげで10年以上時間を無駄にした、なんてこともあったけれど(^^;、今は基本的にリードはバンドレンの3番です。

さて明日は6年ぶりの、バリトンサックスでの本番。
それでもバリトンだけは、一貫してバンドレンの4番を吹いていたんだけど(バリトンだけは未練がましく昔のコンセプトを引きずって吹いていた、ということでもある)、ブランクを経て復活した今回は、あっさりと3番が定着してしまった。
最初は戸惑ったけれど、しかし今は、バリトンに関しては今までで一番自分で納得のいく音が出ている感じがする。
自分で自分の音が好きになれるというのは、嬉しいことだ。

明日は良い音聞かせまっせ!

2006.06.07

サクソフォン・ガラ・コンサート

Tirasi626サクソフォン・ガラ・コンサート-日本管打楽器コンクール入賞者による(紀尾井ホール)
國末貞仁、林田和之、松原孝政、山田忠臣(Sax)

J.S.バッハ/イタリア協奏曲より1(S林田、A國末、T山田、B松原)
加藤昌則/マドリッド・インスピレーション(山田、Pf小柳美奈子)
ガーシュウィン(長生淳編)/ラプソディ・イン・ブルー(國末、Pf中村真理)
ルクレール/2つのヴァイオリンのためのソナタ集よりop.3-3(林田、松原)
長生淳/天頂の恋(山田、國末、Pf小柳美奈子)
スウェルツ/クロノス(松原、Pf沼田良子)
トマジ/サクソフォン協奏曲(林田、Pf沼田良子)
ボザ/アンダンテとスケルツォ(S松原、A山田、T林田、B國末)

ちょうど30前後の世代の、現在の東京で最もアクティヴに活躍するサクソフォン奏者たちが揃って、4者4様の個性を華やかに聴かせるコンサートだった。それにしてもこうして聴き比べてしまうとさすが林田さんの貫祿勝ちって感じではある。林田=松原のデュオも、後半の松原さんのソロとは音色が違ってお互い似てくるのが面白かった。かなり違う個性の持ち主なのに一緒に吹くとどちらがどちらだか区別のつかないハインツ・ホリガー&モーリス・ブルグのデュオというのを思い出す。(林田さーん、舞台の上ではレディーファーストですよー)
他にも長生淳氏の新作トリオ(初演ではないが)とか、聞きどころ多し。長生さんの曲はとてもソフィスティケイトされた味わいでちょっと意外だった。國末さんのテナーの音色に感心。

そんなこんな、いろいろ。終演後のロビーは大混雑…というか、大混乱(^^;でした。早々に逃げてきた。

2006.06.05

別宮貞雄の室内楽

Tirasi625花岡千春(Pf)リサイタルシリーズ
別宮貞雄・室内楽作品の夕(東京文化会館・小ホール)

ピアノのためのソナチネ
アルトサクソフォンとピアノのための『街の歌』(Sax:雲井雅人)
4手ピアノのための日本組曲第2番『北国の祭り』(2ndPf:尾高惇忠)
オーボエとピアノのためのソナチネ『薄明』(Ob:井上圭子)
歌曲集『抒情小曲集』(Sp:小泉惠子)

別宮貞雄の作品は、饒舌だ。音の数も多いけれど、そればかりでなく、曲の長さが聴いていて予測される長さよりもほんの少し長くて、そのほんの少しが今日のように何曲も積み重なると、饒舌さをいや増す感じがするような。
響きそのものはさすがに、20世紀フランスのアカデミックな作曲家たちのそれと共通するものがあって、ワタシとしてはとても好きなんだけど。「ピアノのためのソナチネ」の2楽章なんか、まんまラヴェルの延長上だし。
最後の歌曲がいちばん良かったな。室生犀星の湿っぽい詩を(しかし日本の詩人というのはどうしてこう暗い詩ばっかり好きこのんで書くんだろう…)怜悧なハーモニーが中和して、独特に不思議な世界を現出していた。
『街の歌』で久々に聴いた雲井さんの生音に、改めて感嘆。サックスを聴いているというより、なんだか山中で湧き出る清水を器に汲んでいるみたいな(なんのこっちゃ)、とても抽象的な美観というものを感じる。

最後、出演者全員が揃ったカーテンコールの舞台に、84歳の作曲者が客席から登壇、両手を振って満場の拍手に応えていた。いつまでもお元気で!

2006.06.04

今年も、最後の練習

リサーチ本番前の最終練習。
梅雨入り前の蒸し暑い1日、閉め切った体育館で、大勢のトラさんで膨れ上がった大編成の合奏。あまりにも暑いので、楽器から水も出やしない(気温が高いので息を通しても結露しないのだ)。

スパークのユーフォニアム協奏曲を除けば、今回の曲目はメキシコの祭り、ルスランとリュドミラ、はげ山の一夜、だったん人の踊り、という具合に、大きな編成のシンフォニックバンドというものの歴史的原点のような選曲だ。私自身、「ルスラン」は初めてだけど、他の3曲は二十代の頃から色々な楽団で繰り返し演奏してきた。
しかも今回はバリトンサックス。目の前にあるのは、音楽の骨格標本のような、リズムと和声の根本だけが書かれている、シンプルな楽譜。
今このタイミングで、この充実した編成と環境でこれらの曲とこのパートが演奏できるというのは、得難い僥倖だと思える。

隣席にはバスサックスのエキストラのとめ氏。ソプラノサックスには、音大声楽科卒という変わった経歴を持ち、以前私と一緒の吹奏楽団やアンサンブルで吹いていて今は東京の大きなサクソフォンアンサンブル団体の代表をしているR君にお願いした。Thunder人脈で、素晴らしいエキストラを揃えました。このメンバーで本番乗るの楽しみだなあ。

本番は6月10日(土)18時30分開演、板橋区立文化会館。
もし興味がおありの方は、本家サイト経由でメールをいただければと思います。

2006.06.03

練習のあと

恒例アンサンブルの練習の後、寄り道して楽譜の買い出しへ。
8月にソロで吹こうと思っている曲の楽譜を、やっと入手。(よく考えてみたらあと2ヶ月しかない(^^;)

H.パーセル『妖精の女王』のサクソフォンカルテット版組曲の楽譜(第1集、第2集)を偶然見つけたので、一緒に衝動買い。

Fairy_queen

第1集に8曲、第2集に9曲収録。
第1集の方はコレジオサックス四重奏団のCDで聴くことができる。

私自身の音楽の好みの方向というのは、純然たるドイツ系のクラシックはちょっと外れて、近代フランス音楽とか、イギリス、北欧の音楽とか、あるいはバロック以前のおもいきり古い音楽(ラモーが好き)とか、いくつかあるけれど、パーセルの音楽というのはそれらすべての様式の間を架橋するようなものに(時々)思える。
個人的な感想ですが。

同行した若い仲間(今日が初対面)は、いきなりBAMのバリトンサックス用パックケースをどーんと買っていった。わお。

2006.06.01

CD Sheet Music

Cd_sheetmusicSheetMusicPlusに注文していた、CD Sheet Musicの2枚(French Piano Musicの1と2)が届いた。

CD Sheet Musicというのは、アメリカのTheodore Presserという出版社が発売している、まともに揃えると何十冊にもなる色々な作曲家の全集やシリーズの楽譜を、PDFファイル化して1枚のCD-ROMに収めて売るというもので、バッハのオルガン曲全集とか、ベートーヴェンやショパンのピアノ曲全集、スカルラッティのソナタ全集といったものは日本の楽譜屋さんでも見かけたことがあった。

今回買ったFrench Piano Musicの第1集は、ラヴェルのピアノ曲全部をはじめとしてアルカン、ビゼー、シャブリエ、シャミナード、ダンディ、デュカス、フランク、イベール、ケクラン、マスネ、ミヨー、プーランク、ルーセル、サン=サーンス、サティ、フロラン・シュミット、ヴィエルヌ(…疲れた)の主要なピアノ作品総計2300ページ超が、第2集はドビュッシーとフォーレの全ピアノ曲1200ページ超が、それぞれ1枚のCD-ROMに入って価格$11.37(!)というシロモノ。いいのかそんな値段で売って。ぱっと見たところDoverとかで出しているような初期版楽譜のフォトコピーのようだが、資料として見るには充分。PDFファイルだから紙で欲しけりゃ印刷すればいいだけだし、とくに第1集の方は、単品では日本の楽譜屋さんではまずお目にかかったことのないような(どころか、存在すら知らなかったような)珍しい作品のオンパレードだし、いやー楽しくてしょうがない。

不思議なのは、この手の廉価再販楽譜は著作権切れのものに限るというのが常識なのに、これにはイベールやプーランク、ミヨー、フロラン・シュミットなど、著作権の生きていそうな作曲家の楽譜も入っていることだ。
おそらく、ちょっと前までのアメリカでは、著作権の規定が日本やヨーロッパと違って独特だった、という事情が関係しているのだろう。
ご存じのように日本(及びヨーロッパを含むほぼ全世界)では、著作権が生きているのは「作者の死後」原則50年間だが、昔(1990年代まで)のアメリカでは、「作品が発表されてから」最大56年間という規定になっていたんだそうだ。
即ち、没後50年を経ておらず世界的には著作権の生きている作曲家の作品でも、若い頃に書かれたものについては、アメリカでは既に著作権切れになっている場合がある、ということ。
そう思ってよく見てみると、件の作曲家たちの作品は、初期のものしか収録されていない。

実は今回、これを注文するにあたって(SheetMusicPlusはカリフォルニアに本社のある業者)、もしかしたら「日本には輸出できません、」と言われるのではないかとひそかに恐れていたのだが、心配は要らずあっさりと届いたのだった。(^^;
ま、結果オーライということで。

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