「ぼくは12歳」
最近まとめてCD化再発売された高橋悠治の一連のシリーズの中に、「ぼくは12歳」が入っていたので、買ってきた。
LPで出ていた頃以来、25年ぶり位のご対面。サイズは小さくなったけれど、嬉しいことに紙ジャケット仕様。
封を開けると、中からはLPレコードをそのまま縮小したような、長半円形のビニールの内袋に入ったCDが出てきた。可愛い。
高橋悠治ソングブック「ぼくは12歳」(DENON)
これは、12歳(中学1年生)で投身自殺した少年・岡真史くんが残していた詩の数々に、日本現代音楽界の永遠の奇才、作曲家・ピアニストの高橋悠治が曲をつけたもの。
岡真史くんは私と全く同年生まれ(1962年)だったので、彼の自死のニュース、筑摩書房から出版された遺稿詩集『ぼくは12歳』のことは、TVのドキュメンタリーとかでも放映されて、同年代の自分にとってリアルタイムに強烈な印象と記憶に残ったのだった。
思春期の頃に、一度でも「死ぬこと」を考えたことのない人というのは、いないと思う。
大人になったら、そんなことケロッと忘れちゃう人もまた、多いけれど。
ここには、誰しも心の底に覚えのある、だけれど普通は形を与えられず、そのまま時間の堆積の中に埋もれてしまうしかない少年期の感性というものが、鋭利に繋ぎ止められている。
あれから30年が経って、自分はその当時の親の年齢になってしまったけれど、再びこうしてその詩を読み、高橋悠治のつけた音楽を聴いている。感慨深い、という言葉では済まされないものがある。
その音楽は、民俗楽器のようなシンセサイザーや管楽器の音と、沖縄や朝鮮の民謡からとられたというリズムの上に、中山千夏の中性的でまっすぐな唄声が乗っているというもので、いわゆる「クラシック」や「現代音楽」ではなく、かといって「ポピュラー音楽」でもない、既存の世間の音楽のスタイルというものを拒絶したような雰囲気が、印象的だ。
1曲めの「みちでバッタリ」って、昔矢野顕子がカバーしてなかったっけ?
参加ミュージシャンを見ると、シンセサイザー高橋悠治、佐藤允彦、ソプラノサックスほか鈴木重男(惜しくも故人となられた方だ)、ベース寺川正興、パーカッション豊住芳三郎と、ジャズ・スタジオ界の名手がさりげなく顔を揃えていて、おおっと思ってしまった(昔は気がつかなかった)。
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