生セヴラック
1週間ぶりのエントリ。「日記」じゃありませんな。
とても印象的なコンサートを聴いた。
平原あゆみ ピアノリサイタル
セヴラック/組曲「ラングドック地方にて」
フォーレ/夜想曲第1、2、6番
ラフマニノフ/ピアノソナタ第2番
先日ムジカーザに行った際、偶然見つけた1枚のチラシ。セヴラックの『ラングドック地方にて』がプログラムに入っている、若い(1981年生まれ)ピアニストのリサイタルの告知だった。
閃くものがあり、行くことにした。「ぶらあぼ」にも載っていなかったから、ムジカーザに行かなければ知ることはなかっただろう。
セヴラック(1872-1921)のピアノ曲は、農村のドビュッシーとでもいう雰囲気の美しい曲で、チッコリーニが弾くCDで以前から親しんでいたけれど、実際に演奏されるのを聴く機会というのは、なかなかあるものではない。
なんでもこの平原さんという方、日本セヴラック協会(そんなのがあったのか)会員、そしてピアニスト舘野泉氏の唯一のお弟子さん(舘野さん、基本的に人を教えるということはしていないらしい)なのだそうだ。
期待しつつ聴く。
最後のラフマニノフはともかく、セヴラックにしろ、フォーレにしろ、聴く前は何かのんびりしていて、ひんやりと美しい、みたいなイメージがなんとなくあった。
繰り広げられた演奏はしかし、良い意味で期待を裏切る、熱さと切迫感にみちたものだった。
一点を見据え、なんだか泣きだしそうな顔で(終演後は本当に泣いていたかも)、一途に、まるで音楽に挑んでいくかのように弾ききってゆく。音量もすごくて、このムジカーザという小さな会場では音が溢れかえりそうだ。
若い演奏だ。二十代の若さでないと、こういう演奏はできないだろう、多分。
だけど、それだけでもない。君は何をそんなに、まるで明日という時間はないかのように弾くんだい?と訊きたくなるほどだ。
光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』に出てくる、少女「あしゅらおう」のことを思った。
永遠より永い時間の中で、絶対者を追い求める、美しくも凛々しいヒロイン。
そう、音楽をするというのは本来的にそういうものだ。フォーレも、音楽とは「存在し得ないものに対する憧れ」、だと言っているし。
心が濾過されたような聴後感の残るコンサートだった。サックスでいえば下地先生のコンサートのような。
「平原あゆみ」という名前は、是非に心に留めておこうと思った。
必ずや将来、今日とはまた違った形での再会があるに違いない。
アンコールに、プーランクの「エディット・ピアフ讃」。
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