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2006年5月

2006.05.30

バンベルク交響楽団

Tirasi624バンベルク交響楽団 日本公演・最終夜(サントリーホール)

武満徹/セレモニアル(笙:宮田まゆみ)
シューベルト/交響曲第7(8)番「未完成」
ベートーヴェン/交響曲第7番
 指揮:ジョナサン・ノット

たまたま急遽チケットが回ってきたので、忙しい中だったけれど行ってきた。
決して「ブランド力」のあるオーケストラ・指揮者ではないし、曲目としても地味な回だったせいか、満席という訳にはいかなかったが、最近稀にみる雰囲気のよいコンサートだった。演奏中は実に静かだし、楽章間のとってつけたような不自然な咳払いも少ないし、早すぎる拍手や下品なブラボーもないし。要は、本当に「音楽」の好きなお客さんが静かに集中して聴いていた、というそれだけのことなんだけど、その「それだけのこと」というのがなかなか無いのですね。
はじめて聴いたオーケストラだが、演奏も非常に繊細できめ細やかで、しかもここぞという場所ではばしっと「切り立った音」が出てくるという、たいへん好ましいものだった。かと思うとアンコールではいきなり、リゲティの「ルーマニア協奏曲」第4楽章、などという弾けた曲を切れ味鋭く鳴らしてくれるし。素晴らしい。

バンベルクという町は、街全体が世界遺産に登録されているような、人口7万ほどのドイツの古い地方都市だそうだが、このオーケストラの定期会員が6千人いるらしい。
市民の1割が定期会員っすか。すごい。考えられないぞ。そんな町に住んでみたいものだ。

2006.05.29

フォーレのバラード

LPレコード時代お気に入りだった音盤のCDがヤフオクに出ていたので、落札。
ジャケットデザインも当時のLPと同じなのが嬉しい。12cm角になってしまうとちょっと地味だけど。

Cd098

サン=サーンス/ピアノ協奏曲第4番
フォーレ/ピアノと管弦楽のためのバラード、前奏曲第1、3、5番
 ロベール・カサドシュ(Pf)、バーンスタイン=ニューヨーク・フィル(CBSソニー)

フォーレのバラード、大好きです。世界中の幸福感と充足感と優しさを12分の演奏時間に凝縮したような音楽。
オリジナルのLPレコードは、大学2年生の時のちょうど今頃の時期(もう少し早い、連休の頃)に買って、聴き込んだのだった。やさしき春と新緑の季節の記憶。
CDにはなっても、ちょっと古めの音質がレコードみたいで、違和感はない。
もしかして、この曲が好きというより、この演奏が好きだったのかな。今の耳で聴くと、意外と速めのテンポでサラサラ進む演奏だけれど、そこがいいんだよね。

むかし、谷川俊太郎の詩の一編を読んだとき、このレコードで聴けるピアノの音を即座に連想した。

 その花片は
 海岸のビルの八階あたりの窓から
 ピアニシモのアルペジオで僕に散りかかってきた
  (谷川俊太郎『郷愁』、冒頭)

フォーレにおけるバーンスタイン=NYPの伴奏も、繊細の極み。
バーンスタインって、これまた意外にも、時々すごくフランス音楽の繊細さに親和する演奏を聴かせることがある。
考えてみたら、バーンスタインはナディア・ブーランジェの作曲の弟子だった。ということは、フォーレの孫弟子に当たるということだから、当然か。
サン=サーンスの方では、一転して今度は本領発揮の、豪快なヘビー級の伴奏付けてるけど。

2006.05.28

この週末

この土日も、忙しくも楽しい2日間だった。有難いことだ。

今日はバリトンサックス担いで、リサーチの練習へ。
合奏参加3回めにして、やっとカンが戻ってきた感じ。周りの聞こえない体育館での合奏にもやっと慣れてきたし。
いよいよ来週が最終練習、本番は再来週6/10。あと一息。

2006.05.27

シンフォニエッタ静岡

Tirasi623静岡まで日帰り往復して、友人中原朋哉氏のオーケストラ、シンフォニエッタ静岡の第1回定期公演を聴いてきた。
会場は東静岡のグランシップ中ホール。

ワーグナー/ジークフリート牧歌(オリジナル編成=弦パート一人ずつ)
ジョリヴェ/トランペット、ピアノと弦楽のためのコンチェルティーノ(Tp宮地茂樹)
モーツァルト/交響曲第41番「ジュピター」

演奏は、ヒヤッとする場面が2~3あったけれど、去年の12月に同じワーグナーとモーツァルトを聴いた時に比べたら良くなっていたんじゃないか。演奏中にヒヤッとする(トラブルをカバーし切れず音に表れる)、というのは、まだ演奏団体として若い、ということで、致し方ないところはある(20年ちょっと前くらいの頃の、今はない新星日響のコンサートを思い出して、個人的にはちょっと懐かしい気分(^^;)。
ジョリヴェが生で聴けたのは良かった。実は私も初めてこの版の実演に接した。パリ音楽院の卒業試験曲として作曲された作品だが、実際にこの曲が課題曲として発表されたところ、卒業コンクールを棄権する者が続出した(25人の卒業候補生中、10人が辞退して留年を選んだそうだ)という、いわく付きの難曲。宮地くん熱演。昨年の9月に私が室内オケ版『ボレロ』の本番に乗せていただいた時、隣ですごい勢いでピッコロトランペットを吹きまくっていて、なかなかやるなとは思っていたけれど、大したものだ。(「2番」やる時は呼んでね。)

終演後は指揮者楽屋にてしばし歓談。
プロとして演奏団体を立ち上げるとなると、採算を取ることを考えなくちゃならないから大変だ、と、(当り前のことなんだけど)思う。
音楽が、マニアックなものとしてではなく、地域社会の中で本当に楽しく興味深く感動的なものとして定着するために何をしていけばよいのだろう、と考えさせられる。
帰路、新幹線の静岡駅まで移動の途上、ご一緒したピアノの志田先生ともそんな話になった。簡単に結論が出るような話ではないけれど。

土砂降りの雨になるという予報だったのに、さほどのことはなくホッとした。
最終こだまで帰京。意外と時間があるもんだな、と思った。

2006.05.26

生セヴラック

Tirasi6221週間ぶりのエントリ。「日記」じゃありませんな。
とても印象的なコンサートを聴いた。

平原あゆみ ピアノリサイタル

セヴラック/組曲「ラングドック地方にて」
フォーレ/夜想曲第1、2、6番
ラフマニノフ/ピアノソナタ第2番

先日ムジカーザに行った際、偶然見つけた1枚のチラシ。セヴラックの『ラングドック地方にて』がプログラムに入っている、若い(1981年生まれ)ピアニストのリサイタルの告知だった。
閃くものがあり、行くことにした。「ぶらあぼ」にも載っていなかったから、ムジカーザに行かなければ知ることはなかっただろう。
セヴラック(1872-1921)のピアノ曲は、農村のドビュッシーとでもいう雰囲気の美しい曲で、チッコリーニが弾くCDで以前から親しんでいたけれど、実際に演奏されるのを聴く機会というのは、なかなかあるものではない。
なんでもこの平原さんという方、日本セヴラック協会(そんなのがあったのか)会員、そしてピアニスト舘野泉氏の唯一のお弟子さん(舘野さん、基本的に人を教えるということはしていないらしい)なのだそうだ。
期待しつつ聴く。

最後のラフマニノフはともかく、セヴラックにしろ、フォーレにしろ、聴く前は何かのんびりしていて、ひんやりと美しい、みたいなイメージがなんとなくあった。
繰り広げられた演奏はしかし、良い意味で期待を裏切る、熱さと切迫感にみちたものだった。
一点を見据え、なんだか泣きだしそうな顔で(終演後は本当に泣いていたかも)、一途に、まるで音楽に挑んでいくかのように弾ききってゆく。音量もすごくて、このムジカーザという小さな会場では音が溢れかえりそうだ。
若い演奏だ。二十代の若さでないと、こういう演奏はできないだろう、多分。
だけど、それだけでもない。君は何をそんなに、まるで明日という時間はないかのように弾くんだい?と訊きたくなるほどだ。

光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』に出てくる、少女「あしゅらおう」のことを思った。
永遠より永い時間の中で、絶対者を追い求める、美しくも凛々しいヒロイン。
そう、音楽をするというのは本来的にそういうものだ。フォーレも、音楽とは「存在し得ないものに対する憧れ」、だと言っているし。

心が濾過されたような聴後感の残るコンサートだった。サックスでいえば下地先生のコンサートのような。
「平原あゆみ」という名前は、是非に心に留めておこうと思った。
必ずや将来、今日とはまた違った形での再会があるに違いない。

アンコールに、プーランクの「エディット・ピアフ讃」。

2006.05.19

新人演奏会

Tirasi621日本サクソフォーン協会の新人演奏会を聴いてきた。
といっても、二夜にわたるうちの2日めだけ、しかも聴けたのは後半の3人のみだったけど。コンサート自体に興味があったというより、人に会う用事にかこつけて行ったような感じ。

それでも、田村真寛氏のシューマン(幻想小曲集)を聴けたのは良かった。新人のサクソフォン奏者の方が、こういう場にシューマン、しかもテナーで出てくるというのは、時代は変わったものだと思う。
だが、現代の最も先鋭的なクラシックの演奏家の方々というのは、野平一郎とか藤井一興といった方々を例に挙げるまでもなく、現代の音楽と同じくらいにベートーヴェンやシューマンやフォーレも見事に(その時代のスタイルで)弾くのだから、サックス界もやっとそういう世界に追いついてきつつある、のかな。
帰り路、頭の中をシューマンがエンドレスで廻っていた。

あ、それから、最初に聴いた大阪の加納星子という人はなかなか印象的だったな。あのキッパリとストレートな感じというのは東京のサックス吹きとは一味違うというか。最初は緊張していたような印象だったけど、最後に向けてだんだんふっ切れて良くなっていった。

これからのコンサート

最近仕入れたコンサート情報。
ここのところ、近年になく興味深いコンサートが多く、時間とお金との按配をどうとるか、悩ましいところ。
以下、一部は本家サイトのトップページでもご案内しています。

・5/31(水) 「森と湖の詩」サロンコンサートVI(タワーホール船堀・小ホール)

北欧音楽の紹介に情熱を燃やす女性指揮者新田ユリさんのプロデュースするシリーズの1回。実質ソレイユ・カルテットのリサイタル。曲目はすべて、サクソフォン四重奏のために書かれた北欧の現代作品、ほぼ日本初演という、なかなかない機会。

・6/5(月) 花岡千春リサイタル・シリーズ「別宮貞雄 室内楽の夕べ Ⅱ」(東京文化会館・小)

花岡千春というピアニストは、プーランクのピアノ全曲演奏会を敢行したり、タンスマンの作品集のCDを出したりと、レパートリー的に目が離せない。
今回なんと、雲井さんが別宮の「街の歌」を吹く!これは聴かなきゃ。
詳しくは新演奏家協会・コンサート案内をご参照。

そういえば雲井雅人サックス四重奏団のリサイタル(7/5、6)も、そろそろ発売開始かと。

・6/11(日) 「音魂座」 東京公演(新宿文化センター・小)

サクソフォン、ピアノ、マリンバという編成のユニット。サックスは桐朋出身の若手のホープ、小山弦太郎氏。
なんか、ものすごく元気の良さそうなコンサートになりそな予感。リサーチの翌日かあ。行けるかなあ。

・7/12(水) 安川加壽子記念会 第7回演奏会(東京文化会館・小)

日曜日(14日)、リサーチの練習が終わった後、ル・トリオレ(木管トリオ)のコンサートを聴きに行ったのだった。この日はあまりに疲れていたのでブログは書いてないけど。
先日の「音の輪コンサート」にファゴットのトラで出演された多田先生からのご案内だった。多田先生の音は、ファゴットと言ってもリードの振動音の成分が結構入っている明るい音色なので、フランス物の曲目でもそれほど違和感がない。
こういうファゴットでプーランクのトリオを聴いてみたいなあ、と思っていたら、なんと!本当にそういう機会があるらしい。他の曲目も、ワタシ的にはかなり惹かれます。
こちらもマネジメントは新演奏家協会

2006.05.17

都響:ニールセン

Tirasi620東京都交響楽団 第626回定期演奏会(東京文化会館)

ニールセン/「仮面舞踏会」序曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(Pf:ニコライ・ルガンスキー)
ニールセン/交響曲第4番「不滅」
 指揮:ヨゼフ・スウェンセン

もう遅いし今日は疲れてるので、簡単に。

『不滅』、熱演だった。生演奏ならではのカタルシスを強烈に感じる曲であり演奏だった。注目のティンパニ、4月からの新入団員(広島響からの移籍のようだ)久一さんが、入団早々の大活躍。いやあ上手いなあ。現首席の安藤さんに全くひけを取らない。どこのオケでも、最近入ってくる若いプレイヤーの巧いことには、感心させられる。
曲自体はそれほど詳しくは聴き込んでいないものなので、マニアックな感想は書けないけれど、この東京文化会館という誤魔化しの効かない会場でこれだけの音を聴かせてくれたのだから、言うことはない。
ピアノのルガンスキーも、見事なものだ。音量は凄く大きいのに音色が綺麗なので、うるさい感じが全然しないところが素晴らしい。

昨年12月の、ジャン・フルネ引退公演ライブのCD/DVD(Fontec、5月20日発売)がロビーで先行販売されていたので、買って帰る。

dvd602

私自身もそこに居て深い感銘と感慨を持った、20年間追っかけ続けた音楽家の正真正銘最後の舞台の記録なのだから、勿論買わない訳にはいかないんだけど、しかしなあ。「2枚CDとDVDによる、カーテンコールまで完全収録、インタビュー付き」、なんて、完全にマニア向けのお宝グッズ扱いじゃん。
そういうもんじゃないんだけどなあ、フルネさんの芸術というのは。

ま、ワタシがこんなところでぼやいても、しょうがないことだ。
発売を率直に喜ぶことにしましょう。

2006.05.12

室内楽の醍醐味

Tirasi619アフィニス・アンサンブル・セレクションNo.100「四方恭子と仲間たち」

コダーイ/セレナード ヘ長調op.12
ラヴェル/ピアノ三重奏曲
シューマン/ピアノ五重奏曲op.44
 四方恭子、吉岡麻貴子(Vn)、佐々木真史(Va)、山崎伸子(Vc)、小山実稚恵(Pf)

JTアートホールにて室内楽のコンサートを聴いた。このホールを運営するアフィニス文化財団の主催による、日本のプロオーケストラ支援の一環としての演奏会。オーケストラメンバーによる室内楽活動をサポートしたり、今日のように各オケの若手楽員と、指導的立場にあるベテラン音楽家との共演をプロデュースするというシリーズで、本日が第100回めなのだそうだ。めでたし。
室内楽の王道ともいうべき内容のコンサートだった。演奏も充実の極み。なかでも四方・山崎・小山という「師匠格」の3人によるラヴェルのトリオは、圧巻。巨大な建築物を仰ぎ見るかのようなスケールの大きさに、我を忘れて聴き入った。それにしても山崎さん、ウマ過ぎ。これでチケット代2000円は安すぎる。

満ち足りた気分で帰宅…しようとすると、途中新橋辺りの週末の酔っ払いサラリーマンの集団が実に興醒めで、うざったく感じるのだった。仕方ないけど。

クロシェの「平均律」

エヴリーヌ(イヴリン)・クロシェの弾く『平均律クラヴィーア曲集』のCD(Music & Arts)が届いた。

Cd097

イヴリン・クロシェといえば、LP時代(1980年頃)ワーナーから国内盤で出ていた、フォーレのピアノ曲集の素晴らしい演奏がとても印象的だった。
「ヴォックス・ピアノ・コレクション」という、バジェットプライスのアメリカ原盤をシリーズで発売するというものだったので、本場・巨匠・名盤指向の当時の日本の批評家からは完全に無視されていたけれど、実は結構良い演奏が多かったし、安い値段でいろんな作曲家のほとんど全部のピアノ曲が揃うので大変重宝していた。覚えているだけで、モーツァルト、シューベルトからアルベニス、グラナドス、サン=サーンス等の、LP何枚にもわたるピアノ曲の全集が、すべて分売・日本語解説付きで買えたのだから。
なかでもクロシェのフォーレ全集は、アビイ・サイモンのラヴェル全集と並んで私の愛聴盤だった。初出時に、今は無くなってしまった「ステレオ芸術」というクラシックレコード雑誌の月評で、中田喜直氏(こんな方がピアノ曲の新譜月評を担当していたのだ。ユニークな雑誌だった)が絶賛していたのをよく覚えている。
フォーレのピアノ曲は、CD時代になってからドワイアン、ハイドシェック、コラールなど色々なものを聴いたけれど、今でもクロシェの演奏が自分の中ではスタンダードだ。ただ、CD化されていない。サイモンのラヴェルはとっくの昔にCDになっているのに。

あれから25年以上が経って、半ば忘れかけていたクロシェというピアニストが、今もアメリカで健在で、新録音のCDも出している、ということを知った時は、嬉しかったものだ。
バッハの「平均律」なんて、楽譜は持っていたけれど、CDで聴こうなんてあまり思っていなかったのだが、思い切って買ってしまった、という訳。
なにしろCD4枚組なので、まだ1枚目を聴き始めたばかりだが、いやー、これはなかなか良いですよ。その昔のフォーレのLPで慣れ親しんだ音色と響きの絶妙さは、健在。今ちょうど1巻の8番のプレリュードだけど、実際なんだかフォーレに近いような響きがする。

2006.05.09

マリオ・カローリ

Tirasi618先日、コンサート会場で偶然お逢いしたレックスのK子さんにご案内いただいた、マリオ・カローリのフルートリサイタルに行ってきた。
会場はムジカーザ。指揮者の井上道義氏の自宅の一部なのだそうだ。百席ほどの小スペースながら、天井が高くてたいへん聴きやすい響きがする。

J.B.ボワモルティエ/組曲第3番よりサラバンド、組曲第2番よりリゴードン
S.カルク=エラート/シンフォニッシェ・カンツォーネ
三枝成彰/青い天使
J.ドゥブリエール/5つの奇妙な小品
吉松隆/デジタルバード組曲
A.ジョリヴェ/5つの呪文より第4曲
R.ムチンスキー/ソナタ

 マリオ・カローリ(Fl)、ラファエル・ゲーラ(Pf)

いやー、強烈なフルートだった。ここまでやるか、ってくらい。まさに「目の覚めるような」、というか。いったんヤルと決めたことは情け容赦なくやる、みたいなこういう「潔さ」と「スピード」は、ある種のヨーロッパの演奏家にしかみられない質のものだ。日本のサックス吹きがこういう演奏をしたら叩かれるだろーなー、などと思いながら聴いていたが、知らぬうちにどんどん惹き込まれていった。
冒頭のボワモルティエから、非常にエモーショナルで、まるで昨日作曲されたかのような新鮮さ。現代音楽を得意としているようだが、頷けるというものだ(私の2列前に座っていた紳士は作曲家の湯浅譲二氏のような気がしたのだが…?)。しかし決して内にこもることなく、音楽自体はどこまでも開放的で明るいところが素晴らしい。
カルク=エラートという人の作品は初めて聴いたのだが、たいへん気に入った。澄みきった青空を自由自在に舞い飛ぶような明るさとおおらかさと大胆さ。こういう音楽があったのか、という新鮮な驚き。

非常に満足したコンサートだった。K子さん、ありがとうございました。

Best of Alfred Reed

「音の輪」の記憶も新しいなか、久々に汐澤安彦氏の指揮するリードのCDを聴き返してみた。

Cd096

Best of Alfred Reed - アルフレッド・リードの世界(CBSソニー/CSCL1506)

ヴィヴァ・ムシカ、第3組曲、春の猟犬、エル・カミーノ・レアル、クィーンストン序曲、ゴールデン・ジュビリー、エルサレム讃歌
 汐澤安彦(「ヴィヴァ・ムシカ」のみフレデリック・フェネル)指揮 東京佼成ウィンドオーケストラ

録音は1982~89年。毎年、今頃の季節に出ていた「吹奏楽コンクール自由曲集(のち、単に「吹奏楽名曲集」というタイトルになった)」というレコード・CDの音源からの再編集。
「CBSソニー」なんていう会社はとっくの昔に無くなってしまったのに、今でもカタログに残っているのだから、コンスタントに売れ続けているということなのだろう。

どれも、今では日本全国あらゆるバンドが演奏し、吹奏楽界の定番となったそれぞれの曲を、日本で最初に紹介する役割を果たした録音なのだが、こうして今聴き返してみると、なんという質の高い紹介の仕方をされていたんだろう、と改めて感嘆するのだった。
私自身、世界初演ということを何度かさせていただいたけれど、参考となる音源も何もない状態から、楽譜だけを読みこんで音楽を作り出すというのは、結構しんどい作業なのです。例の『カメオ』なんて、何度か再演を繰り返した今となってみると、初演の頃は何も分かってなかったなー、などとも思う訳だし。

それぞれの演奏は、その年に出版された楽譜の新譜の山の中から何曲か選び出して、おそらくは1~2回程度のリハーサルの後に録音されたものだろうと思うけれど、それでもこうして20年以上経った今でもなお、一種のスタンダードとして聴くに堪え得る質の演奏となっている。
それどころか、例えば『第3組曲』における、まるでプロコフィエフやグラズノフのバレエ音楽みたいな「オーケストラル」な雰囲気なんて、自作自演盤をも上回るかも。

汐澤先生、すごいな。
まあ、それが、プロの音楽家、というもののすごさなのだろうと思う。

2006.05.07

今世紀初バリトン

GWとやらの最終日は、リサーチの練習に参加。
今年は初のバリトンサックスでの出演。私も昔はバリトンばっかり吹いて色々なバンドを渡り歩いていた時代もあったけれど(22年前に買った楽器だが、当時セルマーのMyバリトンを持っているアマチュアなんて皆無に等しかった)、最近は楽器は人に貸してばっかりで、自分で本番を吹くのは2000年9月の横浜楽友協会室内楽以来。
この機会にと楽器も完全に調整し直した。高橋管楽器でやってもらったんだけど、高橋のオヤジさんは「いやー、これ良い楽器ですねー」と感心していた。
ちなみに高橋管楽器は、住宅街の路地の奥まったところにある普通の民家で、1階が工房になっていて親子の職人さん2人が仕事をしているという、昭和の面影を残す雰囲気がなかなかいいです。本当にこんな感じだから。

Takahashi_WI

さて、3時から8時半までびっしり合奏。うわー、しんどい。
多分MPとリードのセッティングのせいだと思うんだけど、セルマーの190にバンドレン4番という組合せで以前はバリバリと吹いていた筈なのに、今はもうキツくて無理。この6年間で体力が落ちたのと、力を抜いたアンブシュアが定着してきたのと、両方だろう。あんまりしたくないけど、リード3番にするか。
先日の「音の輪」の特別バンドのバリトンサックスに、大阪芸大のT先生というプロの方がおしのびで参加されていてびっくりしたんだけど、そういえばMPは170だと言っていた。バリトンで170使うなんて以前だったら考えられなかったが。

来週はゲストソリスト、「世界の」外囿祥一郎氏との合わせ。楽しみ!

2006.05.06

5月4日のこと

アルフレッド・リード追悼演奏会(音楽葬)・第18回音の輪コンサート、終了してはや2日。
あり得ないほどの疲労困憊とともに終わった演奏会だったけれど、自分の中では既に、次の本番に向けての仕込みが始まっている。

忘れないうちに、「音の輪」本番当日のことをいくつか。

060504a

秋山紀夫先生の弔辞と、生前のリード博士のコンサート映像投影のリハーサル。
本番のこの場面で、『サクソフォン四重奏のための5つのカメオ』より「アリア」を演奏しました。
疲労困憊の主な原因はこれだったんだけどね。
今回の追悼演奏会プログラム中、唯一しんみりする場面だったけれどけれど、こっちはそれどころじゃなかったです。

すみだトリフォニーホールのステージ裏には、これまでこのホールに登場した演奏家たちの色紙がたくさん、掲示されている。

060504b

(故)朝比奈隆氏。

060504c

(故)関屋晋氏。
アルフレッド・リードという名前も、こういう「歴史上の名前」になってしまったんだな。…

本番。秋山紀夫先生指揮の『ミスター・ミュージック』。
秋山先生の持つオーラは、リード博士のそれと似ている。
リハーサルでも、当り前のことを当り前に言っているだけなんだけど、皆の音がどんどん変わっていくんだもの。

百瀬先生と河野さんの『マリンバ・コンチェルティーノ』。
なんて美しい曲なんだろう。作曲当時71歳のリード先生のペンから溢れ出るロマンの精粋に、言葉もない。
私(A.Saxトップ)の座り位置は、指揮者をはさんでソリストの真向かい。
「真剣勝負」の現場に立ち会った、という感じだった。
音楽家冥利に尽きる一瞬。

という具合に書いているときりがないので、中略。
メインプロ、常任指揮者・伊藤透先生の『第4交響曲』。
私はソプラノ。ソプラノは実はあんまり吹くところはない。だけど吹くところはやたらと難しい。とくに第3楽章。
それでも、第2楽章の真ん中あたりにとても好きな箇所があって、練習の度にそこを吹くことを楽しみにしていた。
リード先生の指揮で過去2回吹いたけれど、その箇所にさしかかる度にリード先生はこちらへ向き直って、「さあ、いらっしゃい」とばかりに左手を差し出して下さった。
あまりにも難しい曲なので、今まで万全の演奏が出来たためしがなかったけれど、今回は少しはましなものが出来ているといいな。

アンコール。
やはり2曲め、汐澤先生とお手合わせした「ギャロップ(『第1組曲』より)」でしょう。
CBSソニーの「吹奏楽コンクール自由曲集」のレコード・CDや、東京吹奏楽団の常任として、リード作品の数々を日本初演したマエストロ。吹奏楽の演奏会のアンコールでこの「ギャロップ」を演る、ということを始めた「元祖」のような方でもある。
今年68歳になられるそうだが、ちょっと信じられないほど若々しい。ニコニコしながら指揮台に上られ、上機嫌に「どうぞ~」と言いながら、物凄いテンポで振り出す「ミスターtoo fast」。
上手くいかなくてもやはりニコニコしていて、しかし絶対に妥協しない。上機嫌を保ったまま何度でもやり直させ、いつの間にかご自分のやりたいことを実現させてしまう。「指揮者」の見本、のような方だ。
たった1回、1曲のリハーサルだったけれど、たいへん貴重な機会だった。

コンサートが終演して、ゲストの先生方が一列に並んでカーテンコールを受けている時、リード博士がそこにいらっしゃるような気がした。…

打ち上げは、リード先生ゆかりの方々が集結し(「弔問外交」って言葉を思い出す)、大盛況。

060504d

打ち上げでスピーチする、秋山紀夫先生。
私たちは今、歴史の目撃者であり担い手なのだ、ということを実感する、素晴らしいスピーチだった。
勿体なくて要約なんか出来ません。誰か全文upしてください、って気分。

さあ、リード先生から戴いた「財産」を、私たちはこれから先、一生を費やして世の中にお返ししていかなきゃいけません。
好むと好まざるにかかわらず、そういう立場に押し出されてしまったようだ。

2006.05.04

【告知】音の輪コンサート2006

tirasi602(コンサート終了まで、こちらの記事をトップ掲載といたします)
毎年ゴールデンウィーク恒例、「音の輪コンサート」が近づいてきました。
恒例とは言っても、今年は趣が違い、昨年秋に逝去された巨匠アルフレッド・リード博士(音の輪コンサート名誉指揮者)の、盛大なる追悼演奏会となります。
私Thunderも出演させていただいております。生前のリード博士と親しくお付き合いし、教えを受けるという栄誉を授かった者のひとりとして、力の限りを尽くして演奏に臨む所存です。
皆様のお越しをお待ちしております。

第18回「音の輪コンサート」
アルフレッド・ リード追悼演奏会(アルフレッド・リード音楽葬)

2006年5月4日(木・祝)14:00開演
すみだトリフォニーホール

曲目(全曲A. リード作品)
A. リード追悼演奏会特別バンド(指揮:伊藤透、汐澤安彦)
 音楽祭のプレリュード  
 アルメニアンダンス・パート1
音の輪ウインド・シンフォニカ
 ミスターミュージック!(指揮:秋山紀夫)    
 マリンバコンチェルティノ(指揮:百瀬和紀)マリンバ独奏:河野玲子
 エル・カミーノ・レアル  
 プロセルピナの庭
 ミュージックメーカーズ
 第4交響曲(以上・指揮:伊藤 透)

入場料 1500円(当日2000円)全席自由
問い合わせ先 API音の輪コンサート公式サイト

2006.05.03

3人のゲスト・コンダクター

いよいよ明日、音の輪コンサート本番(ひとつ上のエントリ参照)。
今日は朝から1日、リハーサル。

客演指揮の先生方も登場。行進曲『ミスター・ミュージック』の指揮は、Mr.Music御本人、秋山紀夫先生。
「おはよーございます、秋山紀夫です、ブラスのひびきの時間です」という、昔NHKFMで聞き慣れたあの声そのままで、長年の現場での蓄積を感じさせる、的確かつ簡潔なリハーサル。素晴らしい。
午後は百瀬和紀先生。同じ指揮者、同じソリスト、同じ「音の輪コンサート」でこの『マリンバ・コンチェルティーノ』を初演してから、はや14年が経ってしまった。その当時は百瀬先生の尽力で、高輪のN響練習場で練習したんだったなあ(先生は当時N響の首席ティンパニ奏者だった)、などと、懐かしく思い出す。
久々の登場ながら、昔と全く変わりなく、緊張感の中にも笑い止まぬ雰囲気のなかリハーサルが進む。口から出まかせで指示を出しているようで、実はその内容は音楽の最も根源へと帰着する、本物の「音楽家」のリハーサルだ。「音の輪」ってなんてゼータクな楽団だったんだろう、こんなすごい人に毎年振ってもらっていたなんて。

終了後は、第1部の特別編成バンドを指揮する、汐澤安彦先生のリハーサルを客席で聴く。

060503

いや、このリハーサルが凄かったのなんのって。
ちょっと、これは感動モノでしたよ。
その日に結成の一発バンドを相手に、『アルメニアンダンスパート1』という(リハ1回で本番にかけるにはあまりに)難曲で、自分の表現を一歩も譲らずに体当たりをする汐澤先生。最後の「ゆけ、ゆけ」のテンポなんか、今まで聴いたことのあるどんな演奏よりも速い。ただ闇雲に速いだけでなく、そういう表現を可能にするためのリズムやフレーズの運び方、解釈がご自分の中で確固として存在していて、それを引き出すためであればいかなる事であろうと厭わないその気魄が、最初はめちゃくちゃだった演奏を、どんどん生きた形あるものに変えていく。天衣無縫たる「全身音楽家」。
リハーサルが終わった時、客席に居残っていたレギュラーバンドのメンバーから、沢山のブラボーが飛んだ。勿論、私も。

本当に、今日は、素晴らしい本物の音楽家たちの魂に触れた、夢のようにファンタスティックな1日だった。
目から大きなウロコが何枚も落ちた気分。
この勢いで明日も、乗り切りたい。

2006.05.02

クレストン生誕百年

今年2006年は、勿論モーツァルト生誕250年で盛り上がっているし、シューマンの没後150年だし、ショスタコーヴィチの生誕100年も武満徹の没後10年も良いのだけれど、我々サックス吹きとしては、ポール・クレストン(1906-1985)の生誕100年を忘れてはならないと思う。
クレストンのサクソフォン・ソナタ作品19の、サクソフォンのレパートリーにおける貢献は、半端なものではない。

そのクレストンのソナタについて、むかし友人が話してくれた逸話をご紹介する。
その友人は私の3つか4つ下で、芸大のサクソフォン科を卒業しているのだが、もうかれこれ10年近く会っていない。もしかしたらもうサックスをやめてしまったのかもしれない。
その彼が、1990年頃にセルマーの主催で開かれたデファイエの講習会に参加した際に聞いた話、だと言っていた。

1978年に開催された、ギャップ国際サクソフォン・コンクール(最高位入賞は現パリ音楽院教授クロード・ドラングルだった。日本の武藤賢一郎氏も入賞している)。このコンクールには、マルセル・ミュールや日本の阪口新氏らと共に、作曲家のクレストンも審査員団に入っていた。
そんなわけで、予選では彼の「ソナタ」も課題曲に入っていたのだが、審査の最中にクレストンは不思議そうな顔をして言ったという。
「…皆、なぜこの第3楽章を、あんなに速く演奏するのだろう?」
それを聞いて、他の、サックス奏者の審査員たちは、
「そんなこと言ったって、譜面にそう書いてあるじゃないか」
と、四分音符=160.という指示のある出版譜を見せたところ、クレストン氏、驚いて、
「Oh、No!こんなテンポは書いた覚えがない!」と叫んだそうだ。
「では、どのくらいのテンポを考えていたのですか」と尋ねたところ、クレストンは3楽章のソロパートを歌ってくれたのだが、そのテンポはほとんどアレグレットに近い、四分音符120以下の速さだった、とのこと。
デファイエが、ミュールから聞いた話、として話してくれたのだそうだ。

勿論この話、たくさんの伝聞が間に入っているし、今となっては関係者はみんな亡くなってしまっているし、真偽の程はもはやほとんど確認不能ではあるけれど。
だが、あのぶっ速い第3楽章の、軽やかでスピーディで、アクロバティックなまでにカッコいい音楽というのは、作曲者の意図が仮にそうでないとしても、この作品の独自のスタイルとして確立しているように思える。
その話をしてくれたデファイエ自身ですら、「そのテンポはいくらなんでも遅すぎると思うので、私は138.くらいで演奏するようにしている」と言っていたそうだし。
作品というものは生き物だ、ということを実感させるお話ではある。

…ということを思い出したのは、こんなCDを聴いたからだ。

Cd095

P.ボノー/組曲、ワルツ形式による2つのカプリス、ジャズのエスプリによる協奏的小品
P.クレストン/組曲op.6、ラプソディop.108B、協奏曲op.26
 Sax:シャンドール・リゴー(Hungaroton)

1965年ハンガリーはブダペスト生まれのサクソフォン奏者による、ボノーとクレストンの作品集。
クレストンの、サクソフォンのための「組曲」や「ラプソディ」(ロンデックスの委嘱で書かれた)は、楽譜屋さんの店頭で「ソナタ」と並んで置いてあるのを時々見かけるけれど、いったいどんな曲なのか全く知ることができず、今回やっと音を聴くことが出来たのだった。「ソナタ」のような古典的均整感というよりは、「コンチェルト」の印象に近い、饒舌でゴッタ煮的な音楽で、ある意味いかにもクレストン、というか。
「ソナタ」はこのCDには入っていないけれど、mckenさんのサイトで調べてみたところ、既に別のCDに収録済なのだそうだ。やっぱりね。
演奏は、ちょっとイモっぽいモタモタした吹き方が気になるけれど、悪くはない。

銀座の○野楽器の店頭で見つけたのだが、店で付けている日本語のオビは「ボンノー&クレストン作品集」となっていて、軽く吹き出してしまった。
そうか、Bonneauは煩悩だったのか(^^;

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