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2005年12月

2005.12.31

年の終わりに

大晦日。東京は今日も良い天気。

藤野に例によって父の見舞いに行ってきた。たくさんのスタッフの方々が、今日もいつものように、いつもの如く働いていた。
私たちがのんびりと年末年始の休みを過ごしている間にも、社会の機能を維持するためにそれぞれの仕事を続けている方々がいることを、忘れてはいけません。
「忙しい、忙しい」だとか「今月は残業○○時間もしちゃいました~、」みたいな愚痴はブログにはなるべく書かないようにしている。自分なんかよりももっと大変な目に遭いながら、それでも黙々と仕事をこなしていらっしゃる方はたくさん居るはずだから。
それでも、ついつい書いてしまうことはあるけど。
思い当たる節のある皆様、お互い気をつけましょう。

cd084年の最後に聴く曲は、ブリテン「戦争レクイエム」。作曲者ブリテン指揮のCD(Decca原盤)。
1時間20分におよぶ大作なので、普段なかなか集中して聴く余裕がなく、なんとかこの戦後60年の年の間に一度は聴こうと思っていたら、結局大晦日になってしまった。
レクイエム典礼文と、ウィルフレッド・オーエンによる反戦詩のテキストに基づいて書かれた、20世紀に書かれた声楽曲中、屈指に感動的な傑作。
もしかしたら、昔(21年前)自分で歌ったことがあるので、余計そう思うのかもしれない。
ふとしたきっかけで参加した某アマチュア合唱団で、プロオケと一緒に歌う演奏会だった。オケは日本フィル。
合唱初心者として参加したんだけど、(吹奏楽をやっていたおかげで)初心者チームの中ではとりあえず楽譜だけはかなり読める方だったので、経験者の先輩たちに負けるもんかとばかりに声張り上げてた。
いろいろあって結局演奏会本番には乗れなかったんだけど、当日のプログラムには名前が載っている。

機会があったら、もう一度歌ってみたい曲だ。
(…しかしこのCD、ロンドン交響楽団とフィッシャー=ディスカウ、メチャうまだわ、と改めて驚嘆)

とまあ、来年もこんなふうに勝手にひとりごとを書き連ねていくことになるでしょうが、宜しければお付き合いくださいませ。

2005.12.29

今年の「さよなら」…ベルティーニ

cd083ガリー・ベルティーニ(指揮者、東京都交響楽団・前音楽監督、1927-2005)。
3月には、この人との永遠の「さよなら」もあった。

まさかこんなに早く亡くなるなんて思ってもいなかっただけに、ニュースを聞いた時は呆然としましたよ。
都響の音楽監督は辞めたものの、桂冠指揮者として引き続き客演が続くということだったので(実際、2006年の再来日は決まっていたらしい)、また聴ける日を楽しみにしていたところだった。

この人の指揮は、アクションは大きいのだが、無駄に大振りという感じは全然なく、しかも動き出しがものすごく鋭くてスピードが速かった。
あのスピードと瞬発力で、腕であれだけ大きな図形を宙に的確な形で描き出すというのは、並みの身体能力ではない(私にゃ出来ません)。音楽の深い理解という以外に、スポーツマン並みの身体訓練も必要だったはずで、亡くなってから77歳というこの人の年齢を改めて聞いて、記憶にあるその指揮姿とどうにも結び付かなくて不思議だったものだ。
世間一般的には充分「おじいさん」の年齢で、いつ亡くなられたとしても別に不思議ではなかった訳だけど。

先日遂にCD発売された、都響との最後の演奏であり、日本で最後の指揮となった、2004年5月のみなとみらいホールでのマーラー「9番」を聴いている(Fontec)。
どこが良いとか悪いとかいう単純な考え方を超えた、ある種特別な演奏で、実際に演奏会場で聴いた時もそう思ったし、今になって聴き返してみても尚更そう感じる。
実際その場に居合わせなかった人が初めてこのCDを聴いたとしても、ここにある特別な感情はおそらく伝わるのではないかと思う。

素晴らしい演奏ではあるけれど、その素晴らしさがうまく言葉にならない。
また、聴き始めると途中で止めることがどうしても出来ない、磁力のようなものが働く演奏なので、この先そう何回も聴き返すことは出来なさそうな気がしている。

2005.12.28

今年の「さよなら」…リード先生

cd082イキナリ仕事にはまって、どうなることかと思ったけど、なんとか無事仕事納めを迎えました。職場で軽く乾杯(納会)。
ちょっと酔って、帰ってから横になってた。って、ビールをコップ半分位しか飲んでないんだけど(普段は一切飲みません)。

今年もたくさんの「別れ」があった。年々、年の終わりに振り返るに印象に残るのが「出会い」よりも「別れ」のほうが多くなってきて、歳取ったなあと思う。
9月の、アルフレッド・リード博士とのお別れ、そして5月、博士の指揮の下で吹いた最後の舞台は、その中でも最たるものでした。

8月には最後の来日をして少年少女たちのバンドを指揮していたのだが、その時にはもう自力でステージに出入りすることが出来なかった。
この時、マネージャーさんに「オレはもう今年一杯は持たないから、後のことを考えておけ」と言い渡していたという話を、亡くなられた後に聞いた。どこがお悪いのかは最後まで仰らなかったが、ご自分では覚悟されていたのだろうと思う。

年の瀬に聴くCDは、1981年、リード氏初来日の歳に録音されたアルバム(佼成出版社)。
第2組曲(初録音)、魔法の島、ミュージック・メーカーズ、ロシアンクリスマス、バラード、フェスティバル・プレリュード、アルメニアンダンスパート1、主よ人の望みの喜びよ(J.S.バッハ=リード編)。普門館でのセッション録音と、新宿文化センターでの東京佼成wo.定期演奏会のライブ録音から選ばれた8曲。
リード氏の夥しいCDの中で、どれか1枚、と言われたら、ためらいなくこれを挙げる。
(24年前の)佼成wo.の音が、若い。勢いがあり、テンポはsempre前向きで、音に鋭くエッジが立っている。今の佼成はこういう音しないもんなあ。勿論悪い意味ではなく、老獪に上手くなった、ってことなんだけど。

3月に録音され、6月には2枚組のLPレコードで発売。即買って聴いた私は当時、19歳の大学2年生だった。
この演奏を聴いていると、当時身の回りで起こっていたさまざまなことを思い出す。というか、当時の自分になってしまう。
以前のエントリでも書いたけれど、若き日の(録音当時28歳)下地啓二氏のソロで「アルトサクソフォンのためのバラード」が収録されているのも、かけがえなく貴重。
先日の小串さんのコンサートで久しぶりに聴いたけれど、思い出したのはやはり、この演奏、そしてこの時代のことだった。…

私が持っているのは、1986年、最初にCD化されて発売されたもので、LPレコードのジャケットそのままの縮小デザイン。
意味なく星が散らばっているのが、80年代って感じで(?)。
今出ているのは少し違う外見だと思う。

2005.12.24

めりくり

めりくり!と、街をゆく女子高生が叫んでいるのを聞いた。ホントにそう言うんですね。…

この季節私の部屋には、フランスバロックの声楽曲がBGMに鳴ります。例えば。

cd081

カンプラ(1660-1744)/レクイエム
 ルイ・フレモー指揮 パイヤール室内管ほか(Erato)

バロックの宗教曲って、ワンパターンで古臭いものばかりじゃない、ちゃんと五感に「美しさ」を訴えるものもあるのだ、ということが判る音楽。
古今東西の「レクイエム」の音楽の中で、フォーレの次くらいに好き。
以前はガーディナー指揮のCDを聴いていたが、大学生の頃(1980年代前半)LPレコードで馴染んだこの演奏が、一昨年くらいに待望のCD化がされ、以来専らこちらを聴いています。

cd080

M.-A.シャルパンティエ(1645-1704)/テ・デウム、真夜中のミサ(EMI)
 フィリップ・レッジャー、デイヴィッド・ウィルコックス指揮 ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団、ほか

20世紀の最後の年の暮れ、鷺沼の教会のクリスマスコンサートに呼んでいただいてサックス四重奏を披露したことがあったのだが、その時その教会の聖歌隊の方々が歌っていたのが、マルカントワーヌ・シャルパンティエのモテットだった。
これが、街の教会の聖歌隊にしてはちょっとびっくりするようななかなか素晴らしい演奏で、さすが田園都市線沿線の高級住宅街の信者の方々というのは違うもんだなあ、と率直に感心したのだった。
フランスバロックへの関心の再燃のキッカケとなった出来事だった。
という訳で、シャルパンティエの代表作2つ収録のこのCDもよく聴きます。安上がり(輸入CD店でたぶん千円以下で買える)で、演奏もオーソドックス。

2005.12.23

Xmasコンサートのハシゴ

祝日。
寒い日が続く。東京は良い天気だけど、大雪の地方の皆様にはお見舞申し上げます。どうか気をつけてお過ごしください。

コンサート通いの1日。昼の部はヤマハ目黒吹奏楽団(めぐろパーシモンホール)。
綺麗な新しいホール、「スカイ・ハイ」に始まり最後ルロイ・アンダーソンの「クリスマス・フェスティバル」に至る、完全クリスマスポップスコンサート仕様の親しみやすい曲目、よいお日柄もあってか、600用意したプログラムが全部無くなる大入り。めでたし。
実は私の元所属団体。辞めてはや10年が経ち、当時から居て今日も乗っている団員さんはほとんど一桁になってしまった。
まあしかし、皆上手くなりましたね。私が入団するちょっと前ぐらいが音楽的にも運営的にもドン底だったのだろうと思うけれど(入団2年めの定期演奏会で、100台を低迷していた入場者数を一気に350に増やし、大いに盛り上がったことを思い出す)、少しずつでも良くなって行っているとしたら、嬉しいことです。
あとは、「良い音」で説得力のある音楽をするという「基本」に、常に立ち返って欲しいと思う。

tirasi561夜はサントリーホールへ移動。

サントリーホール クリスマス・オルガンコンサート

J.S.バッハ/プレリュードとフーガ ト長調BWV541 *org
シューベルト/アヴェ・マリア *org, saxQ
フランク/天使の糧 *org, saxQ
ベッリーニ/歌劇『ノルマ』から「清らかな女神よ」 *org, ASax
ヴィヴァルディ/『四季』より「冬」 *org
デザンクロ/サクソフォン四重奏曲 *saxQ
水野均編/クリスマスキャロル・メドレー *org, saxQ
長生淳/彗星 *saxQ
メンケン(長生淳編)/美女と野獣 *org, saxQ
長生淳/Natch-knocker(チャイコフスキー「くるみ割り人形」による) *org, saxQ
 水野均(Org)
 トルヴェール・クヮルテット

何が聴きたかったって、何といっても「トルヴェールのデザンクロ」だったんだが、いやー、さすがと思った。この曲をあそこまで肩の力抜いた感じで出来るんだ、と。
いかに普段私たちがガチガチで硬直した音楽をやっているかって事が、良く判った。主旋律は大きめに出して他(対旋律や伴奏)は抑える、とかいう、単純なアンサンブルテクニック上のバランス調整だけのレベルのお話では全然!ない。
何故こういうことが出来るのか、理由は色々あるだろうけど、やはりmp以下(ppp-pp-p)のダイナミクスとニュアンスのコントロール能力が図抜けている、ということなんだろうな。普通のサックス吹きが最も苦手、かつ「見ないことにしている」領域だ。
トルヴェールのデザンクロを聴くのは、時代がまだ20世紀だった頃の紀尾井ホールでの演奏会以来久しぶり。あまりやってくれないけれど、もっと色々な機会に聴きたいものだし聴かれて欲しいと思う。例えばこれ、CDに録音して一般家庭のCDラジカセやミニコンポで再生したとしたら、「普通に巧い」演奏に聞こえるだけなんじゃないか。サントリーの大ホール、みたいな大きな空間、そして距離(2階席左サイドの頂上近くで聴いていた)、生演奏ならではの音量、があればこその響きの感覚というものがある訳で。

他の曲はまあ、普通に普通の人が楽しめる、ちょっと豪華なコンサートという趣でした。サントリーホール恒例のクリスマスコンサートということで、普段の私の守備範囲の国内オーケストラやサックスの演奏会とは客層が少々違ったようだし、オルガンコンサートと銘打った割には随分サックスが出しゃばっているので(^^;不思議に思われた方ももしかしたらいたかもしれないが、「珍しい」サクソフォンの音色を楽しんでもらえたんじゃないかと思う。

最後の長生さんの曲は、例によっていつもの調子のアレでした。冗談音楽としては良く出来ている、というもの。

2005.12.22

新橋から

今日は職場の忘年会でした。普段飲まない私としては珍しく二次会まで付き合う。
職場のある新橋烏森は、この時間でもお祭りみたいな賑わい。「本日に限り皆様2時間限定ですぅ」と叫ぶ飲み屋のあんちゃん、見渡す限り道路を埋め尽くす客待ちタクシーの列。電車の中は朝のラッシュより酷い混雑。酒臭ェぞ。

2005.12.21

終わった。

昨日に引き続き、都響定期第2夜(東京文化会館)。
ジャン・フルネのラストコンサートが、満場のスタンディング・オベイションの中、終演。
…聴き終わったら泣いちゃうんじゃないかと思っていたけど、意外とそうはならなかった。フルネさんの音楽が、虚仮おどしの感動の押し売りや安っぽいドラマ性とは最後の最後まで無縁だった、ということ。

今日も、昨日にもまして素晴らしい集中と献身に支えられた演奏だった。ホールのせいもある。改めて東京文化会館って良いホールだと実感した。2階センターで聴いた昨日のサントリーホールよりも、3階左翼席で聴いた今日の東京文化のほうがずっと克明でバランス良く綺麗な響きで聞こえた。
(音の好き嫌いはあるだろうけれど、東京文化会館を「響きが悪い」とかって言う人は、ハッキリ言って音痴だと私は思う。)
会場にテレビカメラが入っていた。1/22の教育TV「芸術劇場」で放映されるそうだ。皆さん是非ご覧になってみてください。

コンサートの最後には、楽員を代表して山本コンマスからフルネ夫妻(奥さんはオランダ放送フィルのコーラングレの名手、ミリアム・ジェイクスさん。以前の奥さんは10年以上前に先立たれ、最近再婚されたそうだ。昨日今日と1曲目の「ローマの謝肉祭」序曲で素晴らしいソロを披露された)に、花束と「都響永久定期会員証」という巨大なチケット型の感謝状が手渡された。
拍手鳴りやまず、オーケストラが全員引っ込んだ後、二度もステージに呼び返されていた。…

これで、本当に終わったんだなー、と、「ジャン・フルネ」の名前のない都響来季の公演日程表を眺めながら、感慨。
フルネさんの指揮を初めて聴いて驚嘆したのが、ちょうど20年前。当時フルネさんは72歳、既に今の私の父と同じ歳だった。もう次は聴けないかもしれない、聴ける時は聴こう、と思って、以来来日する度の「オッカケ」が始まったのだった。
まさか、その後20年も、そして本当に最後の演奏会まで聴き続けることが出来るなんて、思いもしなかった。

ジャン・フルネ。偉大なその音楽と素晴らしい人生に、感謝。

2005.12.20

ジャン・フルネ引退公演、始まる

tirasi560東京都交響楽団 第618回定期演奏会(サントリーホール)

ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」
モーツァルト/ピアノ協奏曲第24番ハ短調K491(Pf伊藤恵)
ブラームス/交響曲第2番
 指揮:ジャン・フルネ

明日もあるので、簡単に。

聴く方は気を入れて-少し緊張もして臨んでいる引退公演ながら、今年1月の600回記念定期以来11ヶ月ぶりに見るフルネさんは、いたっていつも通りのフルネさんだった。まるで、来年になればまたいつも通り東京に現れそうな雰囲気も感じさせつつ。
ブラームスの2番。最後がフランス音楽でないのはちょっと残念だけど、こういう、日常の中の幸せのような雰囲気の中、のんびりと美しい響きを紡ぐ音楽というのは、フルネさんのような音楽家の最後にふさわしいのかもしれない。

演奏は素晴らしかった。都響の底力を再び見た思いだ。この指揮でこういうふうに弾くかあ。皮肉とかではなく、本当に感心した。
明日の東京文化会館、第619回定期が、本当の最後となる。

2005.12.19

おフランスなブラ2

明日明後日と、都響とのジャン・フルネ引退公演。
フルネ翁92歳、つつがなく来日されてスケジュールもこなしている様子。
両日(完売)ともチケットは確保済。初めて生の指揮姿に接して以来既に20年以上、欠かさず聴き続けてきたひとりの高潔なる音楽家の最後の姿を、しっかりと目と耳に焼きつけて参ります。

メインプロはブラームスの2番。
ということで、ちょっと変わった「ブラ2」のCDを聴いてます。

cd079

ブラームス/交響曲第2番、アルト・ラプソディ、大学祝典序曲
 ジャン=バティスト・マリ指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団ほか(Mandala)

1960年録音、往時のフランスのオーケストラによるブラームス。録音は少々ぼやけ気味ながら、オーケストラの音、特に管楽器が聴き慣れたものとぜーんぜん違って明るくて、楽しいことこの上ない。第1楽章終わり近くのホルンソロなんか、クリュイタンスの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を彷彿とさせる、ヴィブラートばりばりの金属質の朗々たるサウンドで、とてもホルンには聞こえません(フランスのホルン事情に詳しい、Lucien Thevetのサイトの監修者である大山さんのご教示によると、このソロは後にパリ管の首席を務めたジョルジュ・バルボトゥではないかとのこと)。
勿論、それだけが聞き物、という訳ではなく、全体にたいへんバランスがよく愉悦感にみちた名演だと思う。
例の「新入生の歌」のところが、ものの見事にバソン(フランス式バスーン)の音でなめら~かに歌われる『大学祝典序曲』も、聴いてて思わずニヤニヤしてしまう。
しっかし曲名表記が、Ouverture pour une fête académiqueですか。とてもブラームスの曲には見えませんなあ。

2005.12.17

なめら~かな忘年会

今日はわれらがアンサンブルの年内最終練習、続いて忘年会でした。
横浜はドックヤードガーデン地下のニュートーキョー。出席者5名。当団事務局が昔バイトをしていたビヤホールで、その関係で格安で上がりました。(業務連絡:途中退席された方には後日返金があります。)
A.リードお爺ちゃんは亡くなられてしまうし、今年も色々なことはあったけれど、来年こそはよい年にしたいものです(毎年言ってるが)。
土曜夜のみなとみらい地区は、クリスマス一色。

ねむいので、簡単ですがこのへんで。

2005.12.16

2006年東京オーケストラ界

東京の各プロオーケストラの、(9月にシーズンがスタートするN響と新日本フィルを除き)2006-2007シーズンの定期公演の曲目が出揃った。
東京交響楽団
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
東京都交響楽団
日本フィルハーモニー交響楽団
読売日本交響楽団

東京フィルは、もう発表にはなっているが、12月16日現在まだウェブサイト上に告知がない(「定期演奏会ラインナップ」というページだけはあるが。リンクを忘れてるだけじゃねーか、もしかして)。

私の場合、都響はほとんど聴くことになるのは確定で、あとはどれを聴こうかな(あるいは、果たしてどれに行けるのかな)、と頭を悩ますことになるのだが。
サックス的興味から言うと、読響7月1日、ハリソン・バートウィッスル(1934-)の『パニック』(サクソフォン平野公崇、たぶん日本初演)が楽しみ。これ、サクソフォンソロ、2基のドラムセット(!)とオーケストラのための作品だそうです。初演は1995年、ソロはあのジョン・ハールだったそうだ。なんか、すごそう。
鬼も大爆笑の再来年、2007年1月27日東響は、サクソフォン須川展也、イベール『コンチェルティーノ・ダ・カメラ』。須川さんがこういう、「色物」でない正統的な曲目で在京オケの定期に乗るのは久々のことかと。
今日拾ってきた「ぶらあぼ」最新号には、須川さんのコンチェルト・リサイタル(9月2日、グレッグソン「サクソフォン協奏曲」初演ほか)の速報も載っていました。

2005.12.15

Happy Sax 2005

tirasi559職場を6時に飛び出して、中央会館(いつの間にか「銀座ブロッサム」なんていう名前になっていた)へ。

Toshihisa Ogushi HAPPY SAX CONCERT 2005

ブラボー・サックス!(星出尚志)
バラード(A.リード)
翼をください(村井邦彦/西上和子編)
ポギーとベス(G.ガーシュウィン/冨岡和男編)
オペラ座の怪人(A.L.ウェッバー/成本理香編)
クワイエット・サンセット(真島俊夫)
ボレロ(M.ラヴェル/樽屋雅徳編)
ラテン・フィエスタ(鈴木英史編)
 小串俊寿(Sax)、白石光隆(Pf)、横山達治(ラテンPerc)、ゲスト:冨岡和男(Sax)

小串さんのHappy Saxコンサートに来たのはものすごく久しぶり。自分のサイトで(^^;調べてみたら6年ぶりだった。しかし相変わらず最上級のエンターテインメントではある。白石さんの超絶技巧(あまりにも巧すぎるので逆にピアノの存在を忘れてしまう。それほど巧い)、ダジャレンジャー横山さんの陽気なノリ、豪華作・編曲陣による独創的で雰囲気豊かな音楽、そして何より、最高にHappyで蠱惑的な、小串さんのサックス。

小串さんの音色は、我々クラシックのフィールドのサックス吹きにとって最も模範的なものに近いと私は思う。世の中には、魅力的だけど「真似をすると怪我をする」音というものがあるけれど、小串さんの音の暖かさ、艶やかな透明感、なめら~かなソノリテは、(ヴィブラートが少し昔風なのが好みを分かつかもしれないが)どれをとっても最も高い次元での目標たり得る。
去年(2004年)の「音の輪」で、アルフレッド・リードの『シチリアーナ・ノトールノ』のソロを吹かせていただいた時、小串さんの同曲のCDを毎日のように聴いたものだった。そこに漂う音楽のアトモスフェアの一部でも自分のものにしたかったのだが、それに成功したかどうかは自信がない。…
この雰囲気の中では、ゲストの一見堅そうな冨岡センセも、サックス吹きとしての本性を思わずポロッと出してしまうのが、可笑しい。

中央会館はなにげにサクソフォンの「聖地」だ。
小串さん自身もアナウンス中で触れていた、リード氏が指揮をして小串さんが『バラード』のソロを吹いたジャパン・スーパー・バンドの演奏会、故・阪口新先生の平成元年のリサイタル、キャトルロゾーの結成十周年記念リサイタル(1984年)、そして、結成されたばかりの頃のキャトルロゾーがゲストで出演した、デファイエ・カルテットの来日公演(私が高校2年生の時だ)まで、みんなこの客席で聴いたものだ。
来年のHappy Sax 2006もここらしい。新たな「伝説」を作ってほしい、と願う次第。


帰りは、東銀座の「萬福」で、昭和4年の創業以来変わらぬ味、という中華そばを食す。懐かしき昭和の味でした。

2005.12.13

マルセル・ミュールQ.のLP

マルセル・ミュール四重奏団のLPレコードを入手。
勿論中古だが、なんと国内盤。原盤Erato、発売日本コロムビア。

LP_MuleQ

マルC1968、という表示がある。驚いたことにステレオだ。
音だけは昔からカセットで持っていたが(ダビングを重ねたとおぼしきボケボケの音だが)、国内盤だとは知らなかったなあ。

LP_MuleQ_b

裏面(部分) ※クリック拡大
解説はジョルジュ・グールデ(粟津則雄訳)。
見ての通りかなり良い状態(盤面も)だが、1500円という格安価格だった。これが海外のオリジナル盤だったら十倍以上の値段が付いていてもおかしくないのだが、国内盤というのは穴場だ。
単に売り手が価値を知らないだけなのかもしれないが。
はやいとこデジタルダビング環境を整備しなきゃ(ずいぶん以前からの宿題なのだ)。

2005.12.10

【聴いた】「ビジネスクラス」SE

(承前)夕方は次なる目的地、すみだトリフォニーの小ホールへ。
ビジネスクラス・サキソフォンアンサンブル(3月のアンサンブルコンクール本選でご一緒した)の演奏会のチラシを某所で偶然(ホントに偶然)拾い、行ってみようと思ったのだ。

途中、本日発売のバンドジャーナル最新号を買う(昨日のエントリ参照)。
件の追悼特集、移動の電車の中でざっと目を通したが、いやー読み応えあります。超豪華執筆陣一同に集結、というか。お葬式というと親類縁者友人がみんな集まってくるみたいな、あの感じ。
この顔ぶれの中に加えていただいたというのは、光栄なことです。

すみだトリフォニーに到着。小ホールは久しぶり。

 櫛田てつ(月失)之扶/「花鳥風月」II~intention
 富山県民謡より おわら節、こきりこ節、麦屋節(秋透・編)
 日本の歌~四季の彩り~
 ・琉球のふたつのうた(池辺晋一郎・編)
 ・どんぐりころころ(池辺晋一郎・編)
 ・冬景色
 ・春の小川(前田憲男編)
 ガーシュウィン/3つの前奏曲
 同 /「ポギーとベス」より(野本洋介・編):佐藤秀徳(Tp、FGH)
 同 /ラプソディ・イン・ブルー(渡部哲哉・編)

強力なコンセプトを感じる曲目だ。誰がどうやって選曲したのかな。興味がある。各カルテットチームとかがやりたい曲を持ち寄っただけでは、こうはならないだろう。(うちのアンサンブルでも、以前は各チームにお任せで選曲していたこともあったけれど、そうすると大抵、客の立場としては聴く気も起こらないような結果となってしまうのだ。)
演奏は、1部の日本物と、アンコール最後のSomeone to Watch over Me(ガーシュウィン)が良かった。日本人が日本の曲をやるというのは、自然なことなんだな。多少の技術的な隙なんか全然気にならない。
対して後半のガーシュウィン物は、難度の高い編曲だということはあるけれど、そうでなくても何かしら音楽自体が「無理」を強いているところがあって、それが正直に演奏に表れてしまう、というか。難しいものです。

それにしても、池辺晋一郎編曲の「どんぐりころころ」の面白さは昔から知っていたけど、前田憲男編曲の「春の小川」の素晴らしさに改めて感銘を受けた。そういえば楽譜持ってたような気がする。今度やってみようかな。

【聴いた】ベートーヴェン、シューベルト、エマール

tirasi558昼間は東京芸術劇場へ。
ピアニストのピエール=ロラン・エマールが現在来日していて、是非聴きたかったのだが、ソロリサイタルの日程が自分の予定とことごとく合わなかったので、読売日響とのコンチェルト(ベートーヴェンの3番)を聴いたという訳。

3階天井桟敷のG席(2000円)に座る。S席、A席、B席と来て一番安い席がなぜG席なんだろう、読売だからジャイアンツと関係あるのかしらん、そんなばかな、と思っていたらGalleryのことだそうだ。言われてみりゃその通りだが。
大きなホールの最上階後部は、壁や天井が近くて反射音が多いせいか意外とよく聞こえることが多い。東京文化会館の5階席が良い音なのは有名だし。

で、勿論ベートーヴェンは素晴らしかったのだが、後半のシューベルト「グレート」がまた、凄く良かった。
全く隙がなくよく整った響きで、しかも瑞々しく、まさにウィーン流儀というのか、なんとも魅力的な音。音色自体は9月に聴いたロジェストヴェンスキー(読響名誉指揮者)指揮の時よりずっと素敵だと思った。
指揮はカルロス・カルマー。知らなかったのだが、あのデプリーストの後任として2003年からオレゴン交響楽団の音楽監督を務める人らしい。なるほどねぇ。

ふと思い立って行ったにしては、非常に得たものの大きいコンサートでした。

2005.12.09

BJに載ります

明日10日発売のバンドジャーナルの、アルフレッド・リード追悼特集に、寄稿させていただいています。
リード氏に曲(例の、サクソフォン四重奏のための「5つのカメオ」)を委嘱した団体の代表者ということで、千二百字の執筆依頼を受けたのです。
この千二百字というのがまた微妙な長さで、文章を少しでも真面目に書いた経験のある方ならその難しさがご理解いただけるかと思いますが、一つのアイディア、一つの勢いだけで書き尽くすには持て余す長さだし、かといってちょっと込み入った事を順を追って書こうとするとあっという間に足りなくなってしまいます。なかなか苦労しました。
このくらいの分量の文章を、手際よく、内容に過不足なく書けるのが物書きの技量なんでしょうね。まだまだ修行が足りんなあ。
仕上がりがどうなったのかは見ていないので、私自身も楽しみに読んでみたいところです。追悼記事に楽しみ、というのも変ですが。

どこかで見掛けたら読んでみていただければと思います。

ドビュッシーの「夜想曲」

先日書いたシャブリエについての文章がきっかけで、いもづる式に色々なことを思い出している。

ドビュッシー作曲『夜想曲』。この曲を知ったことを抜きにして、自分の十代は規定できない。

第1曲「雲」、第2曲「祭り」、第3曲「シレーヌ(海の精)」。
ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送局管弦楽団。高校1年生の冬、たまたまFMでエアチェックしたのが、この演奏だった。
こんな音楽があるのか!と本当にびっくりした。
冒頭の木管による動きからもう、流れゆく雲が明瞭に眼前に浮かんでくる。
クラシックをまともに聴き始めて2~3年め、クラシックには様々な情景を描写した音楽が色々あることは既に知っていたが(ベートーヴェンの『田園』の第1楽章が、「いなかに着いた時の楽しい気分」であるとかね。あと『シェエラザード』の1曲めの海の描写とか)、そういう類のものとは一線を画す、何か本質的な違いのようなものを嗅ぎとったのだった。
こんなふうに、音楽そのものが「雲」や「祭り」や夜の海を呼吸している、というものは、聴いたことがなかった。

輝かしいファンファーレで始まる「祭り」は、最後だんだんに消え入って、けだるい倦怠と輝かしさの遠い余韻の中、ピアニシモのシンバルの一打と弦のピツィカート、というなんとも印象的な組み合わせで、ふっと終わってしまう。
「祭りのあと」、という言葉を思った。祭りというものの本質を貫き通して、向こう側まで到達してしまうような、ドビュッシーという人物の底知れない感性の鋭さに震えた。

という訳で、FMで聴いたのと同じ演奏のレコードを買ってきた。

LaMer_Nonturnes

ドビュッシー/交響詩「海」、夜想曲(東芝EMI)

高校の1年生から2年生に上がる頃の一時期は、それこそ毎日このレコードばっかり聴いていたような気がする。
こんなに明るく、輝かしいオーケストラの音は聴いたことがなかった。それまでに別のレコードや数少ない実演で聴いたそれとは全然違うものだった。細部は意外とうやむやなのに、全体としての印象は明晰きわまりない。
これがフランスの音なのか。

いつかも書いたことだが、私の通っていた高校は東京の南の端近く、多摩川(神奈川との県境を流れる川)にほど近い高台の上にあった。
多摩川の河川敷(新幹線の鉄橋のすぐ下)にグラウンドを持っていて、体育の時間などにはよく、住宅街の中の坂道を5分ほどランニングして、そこまで行ったものだ。
試合の待ち時間とかは、グラウンド脇の土手に座り込んで、クラスの友人たちと他愛の無いお喋りをしながら過ごすことになる。
鉄橋の上を、ときおり「団子鼻」の新幹線や、のろのろと走る貨物列車が通り過ぎていく。(現在は横須賀線が新幹線と並走しているが、当時は品鶴線-ひんかくせん-という貨物専用線だった)

『夜想曲』の「雲」を聴くと、この当時の、多摩川の土手の草叢に座って眺めた、だだっ広い空と流れる雲を思い出す。
ドビュッシーが見たであろう、19世紀末のパリの空とは随分違う風景だろうけれど、でも照らしている太陽は同じ太陽だ。…

現在は、2枚組CD2セットに収まった「ドビュッシー管弦楽曲全集」として、発売されている。→こちら(東芝EMIリリース情報)参照

2005.12.05

シャブリエの「田園組曲」

この季節(11月終わりから12月はじめ)になると、シャブリエを聴きたくなる。

cd078

シャブリエ/楽しい行進曲、ポーランドの祭り、スラヴの踊り、ハバネラ、狂詩曲「スペイン」、田園組曲
 ジャン=バティスト・マリ指揮 パリ・オペラ座管弦楽団(東芝EMI)

私が高校2年生の時だから、1978年。27年前ですか。
当時、FM東京に「ルーテル・アワー」だか「ルーテル・クラシック・アワー」だったか、日本ルーテル教団がスポンサーの30分のクラシック番組があって、時々聴いていた。
毎回、その日に放送されたレコードを聴取者に抽選でプレゼント、というのがあって、たまたま応募して当たったのが、このレコードだった。ちょうど今頃の季節。
お小遣いで月1枚の廉価盤LP(1300円とか1500円とか)ぐらいしか買えなかった当時としては、フルプライス盤、しかもバリバリの新譜(1977年録音)というのはなんだかとても嬉しくて、毎日のように自分の部屋のコタツにもぐりながら聴いたものだ。

有名な狂詩曲「スペイン」は、バレンボイムのレコード(9/16のエントリ参照)で既に親しんでいたけれど、このレコードでは、続いて入っている「田園組曲」に心惹かれた。心酔した、と言っても良い。トライアングルのソロによる印象的な導入から、空の高いところへ手を引かれて舞い上がっていくかのような「牧歌」、一抹の都会的な愁いを含んだ野の明るさ、とでもいうような続く「村の踊り」「木陰で」「スケルツォ・ヴァルス」。
心のどこかに空洞があったとして、そこにぴったりと納まって邪魔にならない、そんな音楽だった。

高校生くらいの人間が、「若々しい」とか「希望に満ちている」などというのは、嘘だ。
そのぐらいの年代の人間は皆、意識しているしていないに関わらず、心の中に「虚無」を飼っている。
大人と同じように、あるいは大人よりもっと切実に、「癒し」を求めているはずだ。

…数年前に、この演奏がCD化されていることを知って、買った。
ジャケットデザインも当時のLPと同じなのが、嬉しい。12cm四方の小ささは仕方ないけれど。
以来、この季節になると、聴きたくなる。

2005.12.04

静岡遠征

友人の指揮者・中原朋哉氏が今般新しく立ち上げた室内オーケストラ、シンフォニエッタ静岡のデビュー公演(島田市 プラザおおるり)を聴きに、新幹線で往復してきた。
旅先で聴くコンサートというのは、気分的にも独特のものがあって後々までも印象に残ることが多い。この楽団はまた特別で、なにしろ9月の依頼公演では私自身がエキストラとして呼んでいただいていたということもあった訳で。おかげでもう一方の音楽監督の志田さん(ピアニスト)から、常連裏方のSちゃんに至るまで、顔見知り多し。

リンク先を見ると判るとおり、教育プログラム、室内楽、オーケストラそれぞれのステージを独立させた4回公演で、チケットも別、客もその都度入替えという、あまりないスタイルだった。
トマジの「芸者の遊び」なんて曲がこっそり入ってたりして、なにげに意欲的なのだが、プロの楽団ということで考えると、演奏レベルはともかくとしてもう少しお客さんの数を確保したいところだ。言うは簡単だが。
お客さんを増やす方法、なんてものが簡単にあるのなら私だって教えてもらいたいぞ。

今の時代、演奏団体を新しく立ち上げるというのは冒険だけど、頑張って欲しいと思う。
簡単ながら、明日も早いのでとりあえずこのへんで。

2005.12.02

新着CD(フェネル&市音ほか)

cd076

海-La Mer
フレデリック・フェネル指揮 大阪市音楽団(Fontec)

もうすぐ一周忌を迎えるマエストロ・フェネルの新譜を買った。
1986~1990年にかけて大阪市音楽団に客演した際のライブ録音が発売されたのだ。

冒頭のヴェルディ「レニャーノの戦い」(フェネルの得意曲だ)から、おお、市音だ、という感じの響き。各セクションがとても立体的でかつ柔らかく、非常になんとも、ヨーロピアンな感触を醸し出している。
ベネット(シンフォニック・ソングズ)のようなオリジナル曲では、佼成woの鮮やかさというか、筋肉質なサウンドに一歩譲るところはあるけれど。
メインはドビュッシー「海」の吹奏楽編曲版。聴く前はちょっと不安だったけれど、どうしてなかなか聞かせます。ただ、この曲のこの版をライブで収録するというのは、バランスという面では結構厳しいものがあるなあ。
アンコールピース4曲入り。懐かしや「Encore!」「サヨナラ!」の肉声付き。「ワシントン・ポスト」が充実の極み。ただのマーチなのに。「どうだね、素晴らしい音楽だとは思わないかね!」というマエストロの声が聞こえてきそうな気がする。

フェネルと、先日聴いたばかりのデプリーストって、何か共通する印象がある。
巨漢の黒人であるデプリーストと小柄な(身長150cm台)フェネルでは、見てくれは勿論全然違うけれど、共に「アメリカ」の最良のありよう(シンプルで明るくあること、率直に若々しくあること、人生肯定的であること、等々)を体現しているように思える。
指揮をしていて、ときおり右腕を斜め上方に高々と指し挙げるしぐさも、両者に共通する。カッコいいんだなこれが。下手に真似をすると本当に物真似って感じでみっともないんだけど。
そういえば日本人の指揮者(斎藤メソード門下)ってあまりこのアクションをしないですね。

cd077

クライスラー名曲集~ジェラール・プーレ(Vn) (Meister Music

私の贔屓のヴァイオリニストのひとり、7月にもリサイタルを聴いた、ジェラール・プーレの新譜。
ベテランの至芸。
これこそが、「音楽」だ。…それ以上の言葉が出て来ません。

このCD、録音会場が、よこすかベイサイド・ポケットとのこと。
なんと、アンコン本番で何度も演奏しているホール。こんなに素敵な響きのする場所だったのか。

2005.12.01

『系図(Family Tree)』…「家族」の諸相

11/24の投稿でとり上げたCD(アフィニス・サウンド・レポートNo.30)の中に、武満徹作曲『系図(Family Tree)-若い人のための音楽詩』が収録されている。(沼尻竜典指揮、オールジャパン・シンフォニーオーケストラ、ナレーター太田麻華)

これは、本当に感動的な音楽だ。
曲も美しいし、使われている谷川俊太郎の詩が、とにかく、すごい。
詩集「はだか」から選ばれた、子どものモノローグに模して書かれた全ひらがなの詩7編の朗読(ナレーターは12~15歳程度の少女、という作曲者の指定がある)と、オーケストラのための作品。

最初の詩「むかしむかし」。「うまれたりしんだりした」、時間を超越した、いまここにいる「わたし」が、立ち現れる。
続いて、「おじいちゃん」「おばあちゃん」「おとうさん」「おかあさん」と順々に、「家族」というものの中にある小さな孤独と小さな崩壊、そして小さな希望が、子どもの目線で語られる。
そこに絡むのは、まるでドビュッシーのような美しいオーケストラの響き。


私事だけど、この何年間か、私自身の上にも、この詩の内容を実感させられるような出来事がいっぱい起こっていただけに、尚更心に沁みるものがある。
脳血管性痴呆のため、人里離れた病院で(自分がなぜここにいるのかもおそらく判らぬまま)ほとんど寝たきりの生活を送る父には、まさに「おしえて むかしのことじゃなくいまのきもち」と叫びたい気分だし、「おばあちゃん」での描写は、私の母が亡くなった前の晩の情景そのまんまだ(ちょっと前までだったら、おそらく聞いていられなかっただろう)。
まあ、そんな個人的なことはこの際どうでもいい。

最後の詩「とおく」。
こちら(「ほぼ日」の過去ログ)に、詩の全文が載っているのを見つけた。

永遠への憧れ、そして転生の予感。

「そのときひとりでいいからすきなひとがいるといいな」のところで、オーケストラの音がはたと止む。
「どこからかうみのにおいがしてくる」で、再び鳴り始める。ノスタルジックきわまりない、アコーディオンのソロを伴って。
「でもわたしはきっと うみよりももっととおくにいける」
泣けてきます。本当に。

「現代音楽」だから、という理由だけで、この手の曲は一切聴かない、あるいは敬遠している、という人も多いだろう。
だけどこの『系図』という作品だけは、生きている間に一度は聴いてみて欲しいと思う。
これは断じて「現代音楽」ではない。いや、もしかしたらもはや「音楽」ですらない。
愛、孤独、やすらぎ、不安や憧憬といった、人間が持っている諸々の感情、「生きている」ことのいとおしさ、切なさを、そのまま封じ込めた時間、のようなものだ。


小澤征爾指揮サイトウ・キネンのCD(ナレーター遠野凪子)、あるいは岩城宏之指揮オーケストラアンサンブル金沢(小編成版)のCDが、入手可能。

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