現在、私の大好きなオーボエ奏者、モーリス・ブルグが来日中。
昨日、私は行けなかったけれど、JTアートホールで室内楽の演奏会だったはずだ(チケット発売のその日に完売したのだ)。風の便りではよいコンサートとなったらしい。
という訳で、家でCD鑑賞。
モーツァルト/フルート協奏曲第1番、オーボエ協奏曲ほか
ミシェル・デボストFl、モーリス・ブルグOb
ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団(東芝EMI)
1975~76年の録音。パリ管の音楽監督に就任したばかりの若き日のバレンボイムが、同オケの二大首席奏者を立てて録音した輝かしいモーツァルトで、今となっては入手困難なCD。エンジェルのマークが懐かしいです。買っておいて良かった。
そう、70年代後半、十代だった自分がクラシック音楽を意識して聴き始めた頃、ブルグはパリ管の首席奏者だった。フランス音楽に親しみ始めたのも同じ頃だったので、それと知らぬうちからブルグのオーボエの音は耳に入ってきていた。ロストロポーヴィチ指揮の「シェエラザード」2楽章の素晴らしいソロや、バレンボイム=パリ管のデビュー盤だったイベール「寄港地」(CBSソニー)とかね。
音楽というものはフレージングとリズムと音の色彩で出来ているという、究極のような真実をシンプルに判らせてくれる演奏だった(当時はこんなふうにはっきりと言葉で把握している訳ではなかったが)。よく知らないうちは、プロのオーボエ奏者というのは皆こんなに上手いもんかと思っていたのだが、その後いろいろなレコードを聴いていくうちに、そういうものでもないらしい事がだんだん判ってきた。
Calliopeに録音のサン=サーンスのオーボエソナタが、どんなにか素晴らしかったことか。このCDについては、以前にも少し書いた。
爾来、あなたの好きな管楽器奏者は、と訊かれたら、「デファイエ、ミュール、モーリス・ブルグ、モーリス・アラール(バソン)」と即答する私です。
彼がパリ管の首席奏者として残したもっとも美しい演奏のひとつが、これ。
ラヴェル/ツィガーヌ、高雅で感傷的なワルツ、マ・メール・ロワ、クープランの墓
ジャン・マルティノン指揮 パリ管弦楽団(EMI)
フランス国立放送管とのドビュッシーと並ぶマルティノンの遺産、1974年録音のパリ管とのラヴェル全集の1枚。
このクリムトのジャケットは、1987年の初CD化時のものなので、現行盤は違うデザインだと思う。
「クープランの墓」のソロは勿論素晴らしいが、なによりオーケストラの音が隅々までキラキラと煌めいて、音を浴びているだけで幸せな気分になってくる。
もう録音でしか聴くことの叶わない、思いっきり豪勢で輝かしい、時代と共に消え去ったサウンド。…
…ここでご紹介したい気分ではあんまりないのだが、私の言ってることが単なる懐古趣味ではない証拠として挙げたいのが、30年後の同じパリ管弦楽団による、やはりラヴェルのCD。
ラヴェル/夜のガスパール(コンスタン編)、クープランの墓、古風なメヌエット、亡き王女のためのパヴァーヌ、道化師の朝の歌
クリストフ・エッシェンバッハ指揮 パリ管弦楽団(Ondine)
パリ管の現音楽監督エッシェンバッハによる2004年のライブ録音で、マリウス・コンスタン編曲による「夜のガスパール」オーケストラ版という珍品が収録されているという意義のあるCDだが、「クープランの墓」をマルティノン盤と聴き比べてしまうと、もういけません。音色は同じオーケストラとは思えないほど痩せてしまっているし、ソロオーボエ奏者の技量も可哀相なほど聴き劣りがする。
…まあ、ブルグほどの名奏者の後任を探すのは難しかっただろうというのは判るけど、それにしてももうちょっと何とかならなかったのか?と贅沢のひとつも言いたくなってしまう。
多分、このCDだけ単品で聴くぶんには別に不満はないのかもしれないが。
指揮者エッシェンバッハというと、ちょっと一風変わった演奏をする人、というイメージがあるけど、ここでの彼は存外に素直な解釈です。
…ということで、(デファイエもミュールもアラールも鬼籍に入られた今)モーリス・ブルグが現在もなお演奏活動を続けていて日本でも聴くことができる、というのは、様々な意味でたいへんに幸運で得難い僥倖なのです。
次は絶対聴くぞ。
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