届かない想い
昨日(7日)は、某Saxカルテットのリサイタルの案内を戴いていたのだが、仕事が終わったのが8時過ぎだった。
今日は今日で、とーっても虚しい仕事をエンエンと夜遅くまでやっていて、うーむ疲れたぞ。
…
私が絶賛を呈した5日の演奏会だが、ネット上を見るに、どうも芳しくない感想をお持ちの方もいらっしゃるようで。
もちろん、同じ演奏でも千人のお客さんが聴いたら千通りの受取り方がある訳で、個人々々の感想はそれぞれだろうと思うけれど、皆さんどうも、ご自分の感想を妙に正当化というか、一般化したがる傾向があるように思う。たかが個人の感想なのにね。
まあ、私だって自分のサイトの中で散々好き勝手なことを書いてる訳で、ヒトのことは言えないし、演奏する側に回れば回ったで、コンサートやらコンテストやら何やらの現場で理不尽な経験はたくさんしてきた。
つい最近も(掲示板に書いたような気がするが)、今回のアンサンブルコンテストの予選で
「…サウンドはソフトな中に芯があり素晴らしいものでした」(10点満点)
「力まずに柔らかい音が出せると一層良くなるのに(後略)」(7点)
という審査員講評を同時に戴いたことがあった。どうせいってんでしょうか(^^;。これは素人の個人的な感想なんかではない。どちらも見識ある一流のプロ演奏家である審査員による「講評」である(お一方は元N響の首席を務めた金管奏者だったりする)。そんな方々が、同じ演奏を同じ会場で、「審査員席」という互いに近接した場所で聴いてすらこうなってしまう訳で…。
こういう極端な例でなくても、コンサートを主催したことのある方だったら、たぶん皆さん思い当たるところがあるんじゃないかと思う。
アンケートとかを配布すると、内容が的を射ているかどうかはともかく、とにかく貶すことが目的で貶しているとしか思えないような回答というのもよくあるよね。
そういうアンケートとかを見るのは、やはりちょっと、悲しい。
音楽家の使命は、聴く人にメッセージを届けることにある。自分に出来る最善を尽くしてなおそれが届かなければ(或いは、相手が受け取ってくれなければ)、仕方がない。残念だけど、なぜ届けることができなかったのかを自省しつつ、また新たなメッセージを携えて、次の機会へと出て行くだけ、なのだが。
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