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2005.01.14

バーバー(その2)

続きです。
バーバー(Barber)。床屋さんですね。日本人で「床屋さん」ていう名字の人ももしかしたらいるかもしれない。

一般的なバーバーという作曲家の知名度といったら、どうだろう。『弦楽のためのアダージョ』だけが圧倒的に有名な、典型的な一発屋と思われているのかな。
私だって、さほどバーバーの音楽を熟知している訳ではないけれど、この人の作品で、とても好きな曲が1曲ある。
木管五重奏のための『夏の音楽』、という曲。

"Summer Music"というタイトルから受ける、輝かしさとか爽やかとかいう一般的な連想とは、おそらくかなり異なる曲想で、メランコリックで悲しげに始まる。途中少し元気になるけれど、完全に解放される、ってこともなく、最後は線香花火がぽとりと落ちるようにあっさりと終わる。

30を過ぎた頃に初めてこの曲を聴いたとき、思い出したのは、私が大学1年生だった1980年の夏のことだった。
私は決して、いわゆる吹奏楽の盛んな中学や高校にいた訳ではないけれど、それでも世間一般の基準からすれば充分に「部活命」、な学校生活を送っていたと思う。吹奏楽コンクールには出ていなかったけれど(吹奏楽を始めた年に一度だけ出たけれど)、夏休み明けというのは中学でも高校でもやれ文化祭だ何だ、と大きな本番の機会があって、夏休みとはいいながら結構頻繁に学校には行って練習はしていた訳で。
夏休みというのは、楽器を吹くためにある、と思っていた。

大学生になって入った吹奏楽のサークルも、たまたまコンクールには出ていなかった。
そうするとどうなるかというと、中学や高校とは違い、8月あたまのサマーコンサートの後は新学期までまる1ヶ月以上(練習も学校も)休みとなってしまうのだ。
いや、正直、面食らった。いきなり放っぽり出されたかのように、何もすることのない、そもそも何もする必要もない1ヶ月だった(バイトをするとか、そういう気のきいた発想はまだなかった)。友達はみんな浪人していて、現役で入った身にはなんとなく疎遠に感じられたし、そもそも部活命だった人間って部活以外の人脈があまりないのね。
誰からも連絡も何もなく、たまに高校の後輩どもの練習にOB面して顔を出して、その時だけはなんか知らんやたらとはしゃいでたなあ。
しかも1980年の夏は涼しく、その後1993年の記録的な冷夏を経験するまでは記憶にある最も寒い夏だった。毎日レコード聴いたり本読んだりしながら、ぼーっと過ごしていたような気がする。

バーバーの『夏の音楽』のメランコリックな冒頭部を聴いて突然蘇ってきたのは、そんな虚ろで静かな、ぜんぜん夏らしくもないひと夏の記憶だった。
それはおそらく、私にとっての「子供の時代」が終わってしまい、かといって大人になる訳でもなく、その後に続くことになる長いモラトリアムの時代の、最初のひとコマだったのだろう、なんてことは今だからこそ言えることで、当時はただ退屈だったんだけどね。


お気に入りの演奏は、VoxBoxから出ている"Music for Winds"と題するCDに所収の、ドリアン五重奏団によるもの。

cd003

曲は他に、メシアンの『世の終わりのための四重奏曲』、『黒つぐみ』、プーランクの六重奏曲にフランセの五重奏曲、イベールの『3つの小品』、ボザのスケルツォに、アーヴィング・ファイン『パルティータ』。
2枚組で千数百円というバジェット盤ながら、ご覧の通り盛り沢山で興味深い曲目に、ニューヨークの無名ながら腕利きのミュージシャン達による演奏もなかなかいいです。

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